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テーマ:お勧めの本(7401)
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★10月10日(Gate♯100)
【心地よいゆりかごの中にいるような日】 深いところで聴いた心臓の鼓動のような、心地よいリズムに浸ってみれば、 まるで宇宙が寝息をたてているかのように安らいでいる。 星屑で編んだゆりかごに揺られて、宇宙の夢に想いを馳せてもよう。 (以上転載) この連載をする重要な理由については、こちらをご覧ください。 『★2025年7月に何かが起きても起きなくても・・・★』 超特別脳長谷川わかの霊視検証 [ 白石秀行 ] からご紹介しています。 6.長谷川わかはいつから超能力者になったのか 1889年(明治22年)に埼玉県入間郡の裕福な農家に生まれ、小学校卒業後は 裁縫塾に通い裁縫の腕を上げた長谷川わかさんは、後に知人の世話で外交官と お見合いをして結婚し、夫の海外勤務や大阪勤務にしたがって外国や大阪に 住みます。 その後、新宿区の下落合に家を借りて住むようになるのですが、ハンサムな 夫がある時期から女遊びを始めるようになり、女性の家に泊まりきりになって 何日も帰ってこなかったりするので、わかさんは悩んで一睡もできなくなり、 それが原因でやがてノイローゼになってしまったそうです。 それが1929年(昭和4年)頃のことで、白石秀行氏は後年(1963年)、わか さん宅で、この夫とたまたま出くわしたことがあったそうですが、《これでは、 若いときには相当光り輝いた紳士だったろうから、まわりの女性たちがほうっ ておかなかったろう》と思ったとか。 当時は、ノイローゼなどはあまり一般に知られていなくて、神経内科もなく、 どうすることもできなかったので、みかねた、わかさんの妹が近所の住吉神社 の拝み屋さんで祈祷してもらおうと、わかさんを連れ出しました。 その霊感行者(新田の先生)のもとで、厳冬期に頭から冷水を何杯も浴びて、 お経を唱えながら神社をめぐってお百度参りをしたり、十日間一切飲まず 食わずで、ぶっ続けに「仏説不動経」をあげ続けたり、連日連夜拝みつづけ 修行をするうちに、少しづつ、わかさんの霊感が開発されて、ついに目を 閉じたままでもローソクの火が見えたりと霊視もできるようになります。 そのうち、雑霊による憑依現象も始まりますが、新田の先生が審神者となって、 次々とかかってくる雑霊を、審問し、術を使い、九字を切って追い払いました。 普通は雑霊が200~250体かかってくるところ、わかさんの場合は、よい宿業の おかげで、来襲し除霊・退散させられた霊群は比較的少なく、全体で150体で 済んだということでした。 そうこうするうちに、ある日突然、神霊が憑依して、男の威厳のある響き わたる大きな声で、「長谷川わかの守り本尊・木曽の御嶽大明神、命の恩人・ 成田の不動明王、本家の祀った諸々の神!」と、大声で名乗り上げたとか。 そして、わかさんが十日間連続で行った神拝みの最中には、彼女の胸の辺りから、 直径約20センチの真っ白なバレーボールほどの霊玉というべきものが出て、空中 を渡り、神前の社の中へ入って行ったそうです。 その様子は新田先生夫婦をはじめ、他の弟子達、信者達にも目撃されました。 7.長谷川わかの「神」が大脳上言語野へ移動した わかさんの「神」の出現場所の変遷をわかさんはこう語っています。 「今では、神は頭の中(上言語野)で話しますが、以前は、わたしの 口でしゃべったんです。」 神は、わかさんの身体の、横隔膜、神経、顎の筋肉、舌や口などを コントロールする制御権を奪って、それらを使いながら、威厳のある 大きな太い男性の声でしゃべったそうです。 そして「神」の居場所は、初めはミゾオチだったのが、それに抵抗する わかさんとの心理的格闘を経て、最終的には、わかさんの大脳上言語野 へと、スッポリと移動してしまったとのことでした。 さらにこの7章には、わかさんのこんな不思議な超能力も紹介されて います。 依頼人の要求で、亡くなった家族の霊が出る場合だと、長谷川わかは この顔つきが別人に変貌するという現象で私が強烈に思い出すのは・・・ 昭和天皇と面識があったという母親の顔が突然、昭和天皇の顔になって、 しゃべり方までそっくりになったという辛島佐代子さんの不思議体験です。 憑依現象は巷にもありますが、顔まで本人そっくり変化するというのは、 憑依する側、または憑依される側が相当の能力者でなければ無理だと 思われるので、わかさんの顔つきが変貌していたという事実を知り、 辛島佐代子さんのこの驚愕の不思議体験も、より信憑性が増しました。 辛島さんによると、昭和天皇が亡くなられる際、ほかに伝える方法がないため、 昭和天皇が辛島さんのお母様に入られてその口を通して次のメッセージを 何度も伝えてきたそうです。 「憲法9条を守って、日本を助けて下さい。 そして、世界に輪を広げて、戦争をしない人類社会を構築して下さい。」 「子供達を助けて下さい。そして、国民を助けて下さい。 そうする事が、世界の人々を助ける事に繋がります。」 その際はお母様の表情もしゃべり方も昭和天皇にそっくりだったそうです。 以下、辛島さんが発行されていた会報『羅針盤』から転載します。 確か11月4日だと思いますが、午前10時のテレビのニュースを、じっと 「昭和天皇が、幽体離脱して私の母に入って来たのは、相互理解の上であって、 他に手段のない条件下で、日本を救う為に取った手段だったのです。」 と、辛島さん。 でも辛島佐代子さんは、大病院で看護部長もされたことのある方ですので、 決してトンデモな方ではありません。 『現代看護が解決しなければならない問題 辛島佐代子 日本赤十字社医療センター』 昭和天皇の隠れた相談役であった三上照夫の素顔に迫った宮﨑貞行著 『天皇の国師』には、それを裏付けるようなこんな記述もありました。 「昭和64年1月7日に崩御されるまで、陛下は、90日以上もの長い間、 病床に着かれ、死と生の間をさまよっておられた。 宮内庁の知人から漏れ聞いたところによると、ほとんど意識を 失った状態のまましきりに口を動かされ、何者かと終始対話されて いる様子であったという。」 天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命 [ 宮崎貞行 ] 著書『天皇の国師』により解き明かされる壮大な転生物語。 昭和天皇が後醍醐天皇の転生者。 後醍醐天皇が南北朝時代に三種の神器を持って逃れた先である 京都・妙光寺の住職、今津洪嶽師が楠木正成の転生者。 その弟子で後に昭和天皇のご進講役(国師)として今津洪嶽師により 宮中に送り込まれた三上照夫氏が、楠木正成の子の楠木正行の転生者。 いにしえの後醍醐天皇と楠木正成と楠木正行、この時空を超えた 完璧な布陣の転生者が再びタッグを組んでこの日本を救うことに なっていたようです。 昭和天皇の耳には、どこからともなく雅楽のような澄み切った 音色が聞こえることがあり、その音色に包まれると、昭和天皇の 身も心もひとつに溶け合い、この上ない恍惚感に浸されるそうで、 ご進講の席上で陛下からそれを伺った三上氏は、さっと姿勢を正し、 「それでこそ、天皇陛下なのです」ときっぱり返答したとか。 「優れた天皇は、陛下のように天と交信し、天の声を聴く霊能を 開いておられたのです」 さらに『天皇の国師』には 「三上によると、陛下は非常に高い霊性をお持ちで、霊的には 神界九層のうち、第三層のヒコホホデミノミコトと交流して おられるということです。 陛下がときおり雅楽のような妙なる音をお聴きになるのは そのひとつの証だそうです。 ただし、後醍醐天皇の因縁をお持ちなので、戦って負け幽閉 されるという因果をこの世で果たしていかねばならないとも 言っています。 敗戦も含めてすべてのスメラミコトとしての無限責任を 生存中も死後も一身に背負う運命を担わされているが、 陛下はそれに耐えうる強い星を持っておられると語って いました」 とありました。 天皇の国師こと三上照夫氏は明仁天皇(現在の上皇陛下)の教育係の 依頼については丁寧にお断り申し上げたそうですが、その一方で 皇太子殿下(現在の徳仁天皇陛下)になら教えたい事があると生前 話していたそうです。 今上天皇には昭和天皇に匹敵する祈りのパワーがありそうです。 存命中に何よりも「アジアに平和を、アジアに光を」と願っていた という昭和天皇が亡くなる間際に、やむなく、超常的な力を使って、 このメッセージを辛島佐代子さんに伝えてきたのでしょうか。 「平和憲法を守って、日本を救って下さい。 そうする事が世界を救う事に繋がります。 平和な世界を構築するよう、国民の方々に伝えてください。 お約束しましたよ!」 昭和天皇からの最後の伝言をこのタイミングで再びこうして紹介する ことになったのも偶然ではないのかもしれません。 天上から妙なる雅楽のような澄み切った音色が聞こえることもあった という昭和天皇には、もっと天上界とのパイプ役としてそのお力を 発揮できるような場があれば良かったのになあと今改めて思います。 辛島佐代子さんの祖父は日露戦争の際に乃木将軍の直属の部下だった方で、 すでに子供の頃から辛島さんは祖父や父を通して明治天皇やのちの 昭和天皇になられる裕仁親王殿下のことをいろいろ伺っていたようです。 明治天皇は孫であるのちの昭和天皇の教育を崇高な理念を持っていた 乃木希典学習院長に託しますが、晩年の昭和天皇が、自分の人生に おいて最も影響を受けた人物は乃木であると語っていたことからも 昭和天皇と辛島さんのただならぬ繋がりを感じてしまいます。 このただならぬ繋がりのさらなる核心について辛島さんはこんな 驚くべき発言も・・・ 『日本国憲法の本質をご理解されて、護り抜こうとされた昭和天皇は、 ずっと辛島さんのことを気にかけていた昭和天皇だからこそ、最後の最後に 非常手段を使ってでも、辛島さんにメッセージを届けたかったのでしょう。 「昭和天皇陛下が、私に、お伝え下さったお言葉に、次の事があります。 辛島さんの話は、さらに続きます。 「実は、私は、子供の頃、父と古代史の研究家と言う方に、 なんと辛島佐代子さんの先祖は神話の神々だったのです。 巷には比売大神の謎にちゃんと気づいている方もいらっしゃいます。 『【八幡総本宮】宇佐神宮 ミステリーだらけの神社と比売大神 進化系古代史の金字塔』 その中にこんな記述が・・・ ここで再び確信に触れるけど、この宇佐神宮は亀山という小さな山の上に建てられている。 しかも、地層からこの山の山頂部分は盛られていることが分かっていて、宇佐神宮の 改修工事の際に土を掘り返したところ、土の中から石棺がでてきたのを何人にも目撃されている。 そしてそれはすぐに埋められ、何も無かったことにされている。 なぜ世紀の発見でもあるこの事実を某勢力は隠したかったのか? このことについて、辛島さんの見解は・・・ 「今から2000年前、オオヒルメが、人類は戦争を 前述のミステリー記事のエピローグでは、道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件)を 取り上げていますが、こんな記述も・・・ 道鏡が巻き起こした国の乗っ取り事件。 この時、なぜ伊勢神宮ではなく、宇佐神宮だったのか。 これは、天皇家の皇祖神アマテラスを祀っている本当の宗廟が 宇佐神宮だったからという見方もある。 江戸時代までの千年以上、皇位継承や事件があった際には 伊勢神宮ではなく、宇佐神宮に勅使が遣わされたという。 奈良朝から江戸幕末まで、天皇家は近くの伊勢神宮には千百年間も参拝すら したことがないのに、国家の大事や天皇の即位時には、必ず宇佐神宮に勅使が 遣わされたということがいったい何を意味するのか? それは、宇佐八幡に祀られている三神の中央がなぜか神名不明の女性神、 比売大神になっているのですが、この比売大神は原始八幡神の巫女である 辛嶋勝乙目で、その神名が隠蔽工作により明治維新以降、封印されて しまったことと大いに関係がありそうです。 辛嶋勝乙目は、仏教、ユダヤ教(正統の)、道教、アニミズムを合体して 古神道を成立させ、人々が戦い合わず、精神的に成長していく国としての 日本を立て、その輪を人類に広げていく目的を内に秘めていたそうです。 日本の神々に対する真理探求と歴史探訪に造詣が深いドーム・パラダイスの お客様に、10年前、このことをお伝えしたところ、とても貴重な確信情報も いただきました。 しかも、シンクロ情報でもあるので信憑性は高そうです。 記事中、ある知人の次に出てくる別の知人というのが私のことです。 『原八幡信仰を伝える「鷹居神社」』 1970年代の始め、宇佐八幡神社の佐藤権宮司を通じて昭和天皇との 間接的な交流があった辛島さんですが、昭和天皇のある決断は、 某勢力に察知され、それから昭和天皇は孤立化させられ、連絡を 待っていた辛島さんの枕元に、ある日の午前3時頃、佐藤権宮司が 突然現れ、 「私は心臓をやられました。もうお目にかかれません。 天皇様に必ずお会いになって下さい。」 と言い残して消えてしまわれたそうです。 その2時間後に、佐藤権宮司の奥様から「今、主人が亡くなりました。」と 辛島さんに電話があったそうです。 「それから直ぐに、私は、昭和天皇に面接を申し込みました。 でも、手紙にもご返事はなく、二重橋に行っても拒否されました。 そして、1975年頃だったと思いますが、御病気だという噂が耳に聞こえて 来ましたので、再び、手紙を出したり、宮内庁に申し込みに行きましたが、 門払いされました。 ですから私は諦めて、看護の仕事と勉強に全力を注ぎ込む事にしたのです。」 辛島さんとの唯一の連絡手段だった佐藤権宮司が突然亡くなられて、 昭和天皇もどうすることもできなかったのかもしれません。 皇室といえども天皇陛下の思うようにはならないという現実があります。 明治新政府のときに誕生した「国家神道」という一種の宗教カルトによって、 それまでの「古神道」や「神道」が乗っ取られ、国家としての血は汚れ、 戦後も、昭和天皇は、外敵、内敵に囲まれ、象徴天皇となってからは、 さらに宮中祭祀の簡略化により、晩年、昭和天皇はますますそのパワーを 失って孤立化させられていきました。 1984年頃には、宮内庁、看護協会を通して、日本赤十字社の看護課長から、 日赤医療センターの看護部長に連絡があり、病気の昭和天皇の看護にあたる 若くて美しい看護婦(現在の看護師)を選んで下さいと看護副部長に就任 していた辛島さんに指示があり、辛島さんはその役目をしっかり果たしますが、 本当は昭和天皇は辛島さんを指名されていたのに、どこかで妨害が入っていた ようで、ずっと後になってそれを知った辛島さんは唇をかみ締めたそうです。 そして、その妨害の顛末については、会報でこのように語っています。 その若い看護婦さんには、そのご幾度かお会いする機会はあった 昭和天皇の崩御に際しても、辛島さんはこんな強烈な体験を・・・ 「昭和天皇ご崩御の日だったと思いますが、宮内庁の医師団長の高木様 やはり、輸血が結果的に昭和天皇の命を縮めることになってしまったのでしょうか。 辛島さんの父が古代の日本の本来の天皇の直系の子孫で、かつ、宇佐八幡の三神の 中央に祀られていた辛嶋勝乙目の子孫だとしたら、本来の天皇の系列と宇佐八幡 にも何らかの深い繋がりがありそうですが・・・ 神武天皇の統治以前に存在した白山王朝が、記紀歴史から抹消されている という話がありますが、並々ならぬ霊力を持っていたといわれる神理研究会主宰の 金井南龍氏と東京外国語大学の笠井鎮夫名誉教授らとの対談録『神々の黙示録』 には、それを暗示するような記述がありました。 「天皇家は白山王朝の殲滅を断行しました。」と語る金井南龍氏ですが、 昭和35年8月9日、瞬間風速60メートル、こぶし大の石ころが飛んで来る 豪雨と嵐の台風の中、人っ子一人いない白山頂上に登った金井南龍氏が 『神々の黙示録』でその白山頂上での想い出話を笠井名誉教授としています。 笠井「なんとも、すごい話になってきた。」 ドーム・パラダイスのお客様からの摩訶不思議なご縁と導きから以前、 辛島佐代子さんに直接お会いした際に、この話をしたら、金井南龍氏の 講演会に辛島さんが参加した際、金井南龍氏が辛島さんをひと目見るなり、 「菊理姫がお出ましになった」と言ったのだとか。 そう教えてくださったあとで私に「私は菊理姫ではないですけどね。」と 辛島さん。 さすが、幼いころからさまざまな神霊と遊んで育ったといわれるほどの 金井南龍氏ですから、辛島さんが、ただの人ではないことを初見で見抜いて いたわけです。 『世界神道樹立を目指し地球全体を魔界と喝破! 神道系霊能者・金井南龍/不二龍彦』 また、以前、辛島さんの家に、突然、聖徳太子の御霊の光が出現したことも あったそうです。 辛島さんが聖徳太子の御霊の光にいろいろ質問をすると、 「物部氏等が、仏寺、仏像を焼き棄てた事件後に事態は悪化しました。 当時、私も若く、まだまだ学びが足りませんでしたが、因果応報は真理です。 貴女は、しっかりと学んで、正しい判断力を養って、これからの 時代を切り開いて下さい。 私は、今まで、日本を見守って来ましたが、これから大変な時代になります。 貴女が殺されかけた時、ニギハヤヒの尊様が貴女を助けられた事の意味を、 正しく理解され、生命を大切にしてください。 それから、宗教に関しては、本来の天皇家が保持していた、真理に 基づいた本物を、しっかりと学び、把握して下さい。」 と語って消えてしまわれたそうです。 辛島佐代子さんは、皇室関係のことで、ある重要な事実も知っているそう ですが、それは絶対に他言できないとおっしゃっていました。 ということで、どうやら、ここらあたりに、辛島さんと皇室のつながりや 昭和天皇のある決断を紐解く大ヒントがありそうですね。 世界一の超能力者ベラ・コチェフスカの大予言/宮崎貞行【3000円以上送料無料】 世界一の超能力者ベラ・コチェフスカさんは来日した際に、紀元前三千年 ごろ、高い知性を持った小人たちが富士山麓で栄えていたが、その後、 富士山の噴火と異常気象で伊勢の方に移住し、その子孫たちは西側から 渡ってきた部族と混血して次の文明を創っていったと霊視していました。 しかし、日本書紀や古事記には富士王朝の記述はなく、金井南龍氏が、 天皇家によって殲滅させられたと主張する白山王朝と同様、勝者に都合の 悪い伝承は消し去り、日本の歴史を九州王朝の神武天皇から始めさせて、 関東以北の先行王朝の記録は抹消したということなのでしょうか。 しかし、日本の超古代文明の文献には、先行王朝や古天皇の記述が・・・ ペトログラフや古史古伝によると、大和朝と神武天皇以前にも 先行王朝や、スメラミコト(古天皇)がいたことが記されています。 具体的には、"母止津和太良世大神"に始まる「造化準備時代」、『超真相!日本の古代史;3、大和朝以前の先行王朝と神武以前の"古天皇"』 「白山王朝」→「富士王朝」→「不合王朝」→「神倭朝(大和朝)」『参考、<超真相!日本の超古代史と神々、天皇、ユダヤ人…二元性史観>』 ちなみに、わかさんの神は、日本人のルーツについてこう語っています。 「日本民族は南のほうから来た。 南といっても、誤解しないように。 東南アジア人ではない。 それ以前に、小アジアのほうから来て、ヒマラヤの麓に800年くらい 停留していたのである。」 わかさんが、チベットか蒙古あたりかなと考えていると神が・・・ 「そっちではない。 地中海のほう。 中近東のほう。 いまで言うと、トルコの高台のほうである。 日本の事をヤマトというのは、山本、つまり、 ヒマラヤ山脈の麓という事である」 ドーム・パラダイスのお客様で、ドームハウスにお住まいの久保晴暉画伯 の画集『私の視た異次元の世界』には、久保画伯が霊視させられた日本と 西洋の神々や龍や天使や宇宙人の絵が掲載されています。 久保画伯が熊野大社に参拝した際、神殿の奥から出てきた丸い大きな玉が 目の前で割れて、中からスサノオ尊が出てこられた様子が描かれていますが、 そのお顔は、まさにユダヤ人風でした。 『★スサノオの風・前編★』 また、初めて伊勢神宮に参拝した際には、内宮で明らかに日本人とは 異なる青い目をして黒い衣装をまとった神が出てこられたそうです。 『★日本人とユダヤ人の楽しい関係★』 画集『私の視た異次元の世界』の冒頭には安倍昭恵さんの 「画集出版によせて」と題するこんなメッセージも掲載されていました。 「新しい時代に変わろうとしている現在、私達が本当にしなくてはなら ないことは何なのか。物質的なものから精神的なものへ価値観が移行 していく中で、久保氏の絵を見ることによって気付きがあり、魂が浄化 されていくはずです。 すべての人が真に目覚め、平和な世の中がくることを心から祈って います。そしてこの画集がその流れを作るひとつの灯りとなることを 期待しています。」 『超特別脳 長谷川わかの霊視検証 その4』に続く ☆今月のテーマ『超特別脳 長谷川わかの霊視検証 その3』のツボ☆ ・顔つきが別人に変貌したら、それは有益な憑依現象 心からの感謝とダジャレをこめて・・・・みお \(@^O^@)/ 人気ブログランキング「女一人旅」には、 女性の一人旅に役立つ情報がいっぱい! ♪おんな~ごころを~癒す~でしょう ♪あなた~ポチっして~来た~の宿(笑) にほんブログ村 注目のテラヘルツ製品のお求めは・・・ 『送料無料のツキアップ通販』 アメブロもやってます。 『LOA88みおりん♪とLOAラブな仲間たち』 JJJじゃなくってDDDな癒し宿!(笑) デトックス&ダイエット&ドームの不思議宿! ドーム・パラダイス https://domeparadise.com/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.11.11 09:27:01
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