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カテゴリ:ミュージシャン
(昨日の続編です)
1979年秋・・・・・まだハナタレ小僧だったDJロマネスク(年齢不詳)は衝撃的なサウンドと出会う。 このサウンドこそボクが本当に愛した究極の“ハードロック・サウンド”であった。 1979年11月11日、(社)日本音楽家協会東海支部主催の『'79 Musician Festival in Nagoya』という音楽祭が名古屋市公会堂にて開催された。 ボクは友人とその音楽祭に招待された。 友人はその協会の事務局長で今回の音楽祭の企画者でもある佐藤巧氏に師事していたのである。 とりあえずボクは誰が出るのかさえ知らずついて行った。 ボクはその頃はまだ日本のハードロック・シーンは紫とバウワウくらいしか知らなかった。 ましてやインディーズなんて世界は知る由もなく、クイーンやイエスを好んで聴いていたくらいのレベル。 そんなボクの前に彼らは突如として現れたのだ。 蛇夢・・・・・ジャムと読む。 たぶん音楽用語の“ジャム・セッション”からの意であろう。 元々名古屋や東京で活躍していたメンバーが結成したバンドであり、ツインリードを得意とする4人組。 メンバーは以下の通り。 吉田 克己・・・・・G.(リーダー) 寺尾 公博・・・・・Vo.&G. 佐藤 典幸・・・・・Dr. 長谷川聖起・・・・・B. そう、リーダーの吉田氏は後にALMを結成するその人である。 この音楽祭はノンジャンル。 ジャズやビッグバンドからカンツォーネ、ムード音楽といった大人好みの出演者が多い中、彼らだけがかなり浮いていたのは事実。 よくオファーを引き受けたなぁと思うほどだ。 彼らの出番は2番目。 重々しいSEで始まった・・・・・ ステージが暗転し雨と雷の音が鳴り響く。 遠くから教会の鐘の音。 そう、ブラック・サバスの1stのオープニングをそのままSEとして流していた。 ボクは彼らがどんなバンドか、どんな音を出すのかさえ知らなかったが、このSEでテンションが上がったのは確か。 いきなりワクワクしだした。 1曲目は「スパーク・イン・ザ・スカイ」。 SEが途切れると同時にドラムスの合図と共に2本のギターとベースが激しく掻き鳴らされた。 なんてドラマチックなオープニングなんだ!! わかりやすく例えて言えばJ・プリーストの「ヘリオン」がいきなり始まったような感覚だ。 無規律に鳴り響く轟音の彼方から忍び寄るように1本のギターが基礎となるコードの低音部を8分音符で弾き出す。 それに合わせるようにドラムスがスネアで呼応する。 ベースも加わり、最後にもう1本のギターが3度上(?)を同じように弾き出す。 美しすぎる。 これぞ70年代ハードロックの美学である。 そのハーモニーが頂点に達した時、頭上から振り落とされる斧のような衝撃でメインのリフが重くザクザク刻まれる。 この辺は絶頂期のブラック・サバスさながらである。 何だろう、このスピード感は!? 決して速いテンポではないのにこの躍動感は見事だ。 その後ブレイクと共に必殺の三連符上昇フレーズをかましてくる。 めちゃくちゃカッコイイ!! 死にそうだ。 短いギターソロを挟んで再び必殺の三連符のフレーズ。 しかも今度は下降フレーズである。 美の極致。 まるでタランチュラのように吉田氏の左手の指がネックを這う。 こんなにも劇的なオープニングは後にも先にも彼らだけである。 ボクはこの開始2分足らずで完全に魂を奪われた。 ここでやっとボーカルが入る。 彼のボーカルは低音がしっかりしていて、例えて言うなら同時期に活躍していた野獣(のけもの)のACEに似ている。 非常に男らしい声で、後にジャパメタによく見られる感情先行型ハイトーン・ボーカルとは一線を画す。 メロディ自体もドラマチックでサビまで持っていく過程は見事。 曲作りもアレンジもツボを得ている。 怖ろしく完成度が高い。 下手な外タレの前座などやろうものなら絶対に主役を食っちゃうだろうね。 圧巻の一言である。 続けて「絶望~戦慄の偶者」が始まった。 メドレー形式で2曲を続けて演奏するのだが2曲とはいえサバスのように1曲自体がサバスのように複数の曲の集合体のようなのでまるで組曲のように聴こえる…実際14分もあるのだが。 この曲がこれまた凄い。 起承転結どころの騒ぎではないほどの場面展開で、しかもドラマチックなフレーズが至るところに散りばめられておりプログレッシブ・ロック的な美学を見出すことが出来る。 この上ないツインリードの美しさと激しく動き回るベースラインとドラムスの手数の多さ。 怖ろしいまでのテクニックと楽曲の構成力の素晴らしさは非の打ち所がない。 いや、あったら教えてくれと叫びたいほどだ。 サバスの4thあたりで見せたへヴィなリフや同じくマイナー進行のアルペジオの使い方など本家をかなり意識したアレンジも見受けられる。 サバス3rdの「ソリテュード」で見せた尺八っぽいサウンドもギターで再現している。 やられた。 全く完璧すぎる。 サバスが好きなプログレ・ファンならば鳥肌どころの騒ぎではないだろう。 最後は重苦しい「地獄の足音」。 悲壮感漂うツインリードとこれでもかと言うほどの重いリフが聴く者を地獄へ落とす…かの如くへヴィなナンバー。 ここでは何よりも2人のギタリストによるカラーの違うギターソロが聴けることが最大のポイント。 一応リードギターは吉田氏ではあるが、寺尾氏のリードギターも素晴らしく同じバンドにいてはもったいないくらいである。 最後に相応しい混沌としたギターソロで幕を閉じる。 もの凄い緊張感からの脱却である。 ボクはこのライブの後、佐藤先生にお願いして彼らの演奏をモニターしていたテープをダビングしていただいた。 これがちょっと音質に問題があって…(汗) リアルタイムでミキシングしていたライン録りのためいきなり音量がビックリするほどメーター振り切っていたりケーブルの接触不良により音がブチって切断されていたりでとても安心して聴けるものではなかった。 それでもボクは27年間聴き続けてきた。 これこそ本当のボクの宝物である。 時は巡り2006年。 LUSHELの宮崎さんとこのバンドのことで意気投合し、しかも宮崎さんのお知り合いの方が蛇夢のライブ・テープを所有していることが判明!! 死ぬほど嬉しかった。 このテープはこの音楽祭を控えた同朋学園(?)の学祭でのライブだと思われるが、しっかりMCでこの音楽祭に出演する旨を語っているのが興味深い。 ボクの中で11月11日というたった一日しかなかった蛇夢の歴史が点でなくなった喜び。 しかもそのテープにはボクの知らない曲がもう2曲収録されていた。 ボクにとっては新曲である!! 家に帰って聴くまでのその時間の長いこと長いこと。 宮崎さん、その節は本当にありがとうございました!! ボクにとって世界で一番大切な蛇夢の2本のテープ。 それは時空を超えて今もなおボクの中で燦然と輝き続けている。 最後に吉田克己氏のご冥福をお祈りいたします。 実はこの話にはちょっとしたエピソードがある。 この音楽祭からしばらく経ってからのこと。 友人のレッスンに再びついて行ったロマネスク。 レッスン前の待ち時間にその部屋にあったギターを手にとって禁断の「天国への階段」(笑)とかを弾いていたのだが、そこへ佐藤先生がいらしてボクに「この前のバンドのギタリストが辞めちゃったんだが、キミどうかね?」とまるでギャグのようなオファーを出したのだ。 ボクはまだ学校で勉強をしなきゃいけなかったから断ったんだけど(笑) ウソのようなホントの話だよ。 もしその話がそのまま本当に続いていたらボクは今頃OZZFESTに出ていたかもね♪ って、有り得~ん 昨日に引き続き、ALMと蛇夢の情報をお待ちしております。 どんな些細なことでも構いません。 ボクの中で空洞となっている彼らの歴史を少しでも埋めたいのです。 どうぞ宜しくお願いいたします。 m(_ _)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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