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2007年06月27日
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カテゴリ:環境

今ここにある危機=地球温暖化と有機農業(後編)

■温暖化克服へ二つの処方箋

 今そこにある危機=地球温暖化のさらなる深刻化を食い止め、これ以上の被害の拡大を阻止することは、今という時代を共有する全人類共同の課題だ。これは私見だが、これから20年ほどの間に、世界の社会経済が温暖化を回避する方向へと転換するか、少なくともその方向に舵を切ることに成功しなければ、破局的な結末は避けられないだろう。愚かな戦争やマネーゲームなどでいたずらに浪費する時間などないのだ。

 幸い、地球温暖化を克服するための二つの処方箋はすでに明らかになっている。ひとつは人為的なGHG排出を速やかに地球の環境容量の範囲内にとどめ、これ以上の温暖化を食い止めること。もうひとつは一定程度の温暖化を前提に、あらかじめそれに対応できる用意をしておくことだ。地球温暖化を巡る議論では一般に前者を「緩和」、後者を「適応」と呼んでいる。

 ごく概算的な数字だが、海や光合成植物など地球環境が有するGHGの吸収能力は炭素換算でざっと31億トンと言われている。一方、人為的なGHG排出は現在約70億トン。つまり人類は地球が吸収可能なGHGの2倍強を年々排出し、環境が吸収しきれなかった残りが大気中に蓄積して地球の気温を押し上げている。逆に言えば、人為的なGHG排出を現在の五割以下に減らして地球の環境容量の範囲内に抑え込むことができれば、温暖化は「緩和」できることになる。例のサミットでは2050年時点でのGHG排出50%削減が議論されたが、その「50%」はこれが根拠だ。

 世界平均での50%削減を全人類が平等に...ということになれば、一人あたりで途上国の数倍以上を排出している先進国はさらに大きく減らさねばならない。例えば日本では、2050年には現在の排出量から90%程度を削減することが必要になる。厳しい数字だが、国立環境研究所はこのほど、基本的に現在の技術をベースに生活の質を落とさない前提で、徹底した省エネと再生可能エネルギー利用により70%の削減は十分可能との研究をまとめた。将来の技術的ブレークスルーのボーナスを加味すれば90%削減も手の届く目標になるはずだ。むしろ問題は、個々の手段や技術よりも、これらを炭素税導入等により大胆にリードできる政治、そしてそうした政治を選び、自らのライフスタイルを地球視点で再構築できる主権者市民の意識の成熟に、世界規模で成功するかどうかにあるだろう。

 一方、「適応」策としては、海水面上昇や高潮の激化に備えた堤防のかさ上げ、ある種の熱帯伝染性疾患への対応の準備、干ばつや高温に強い農産物品種の開拓等々が、当然のことながら、今から着実に取り組まれなければならない。適応力が弱いとされる途上国への金銭的技術的支援も重要だ。とはいえこれらは主として為政者がなすべき政策オプションである。では我々市民レベルでの適応策は何か。もちろん細かな対応策はいくつも考え得るが、最重要な観点は「食とエネルギーの地域自給」というのが私の十年来の持論だ。

■食とエネルギーの地域自給

 2050年に100億を数えるという地球上の人々が、平等に分配されたささやかな「GHG排出権」を持つ世界を想像してみよう。その世界で日本国憲法前文が謳うように「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を行使できる生存の仕方を展望するとすれば、人々がそれぞれ拠って立つ大地と環境の恵みの範囲内で生きること、つまり基本的な食料とエネルギーをそれぞれの地域で自給する以外に合理的な方法はない。

 いま資源とエネルギーを浪費しつつ世界を席巻するグローバリゼーションは、富と貧困の偏在を促進し固定化する南北間矛盾もさりながら、地球環境の限界に衝突してまもなく終焉を迎える。いや、できるだけ早く終わらせねばならないというべきか。でなければ、世界は断末魔にのたうつグローバリゼーションと無理心中させられる羽目になりかねないからだ。ともあれそのとき、この方面からも否応なく「食とエネルギー」の自給を求められる時代は来るだろう。

 食とエネルギーの自給はもちろん農業がベースになる。その農業は将来にわたり生命を支える食を「自給」することが最大の使命だから当然「持続的」でなければならず、また持続的であるためには食料生産の母胎である生態系(=自然循環機能)の維持増進に貢献するとともに、外部資材や化石燃料に頼らずエネルギー収支でも採算がとれる農業でなければならない。であればこそ、食とエネルギーを自給する地域社会のベースは有機農業以外ない…というのが私の有機農業についての考え方だ。余談だがそういう意味では、莫大なエネルギーを消費しつつ海を越えてくる「有機農産物」というのは、私には論理矛盾に思えてならない。

和歌山で...

  といったことを考えながら、10年前に環境と食とエネルギーを考える任意の市民団体として「和歌山環境ネットワーク」を、また有機食品に検査認証制度が導入された7年前には登録認定機関として「NPO和歌山有機認証協会」をそれぞれ仲間たちと設立し、「和歌山における食とエネルギーの地域自給」という遠大な目標に向かっての右往左往を続けてきた。こうしたなかで一昨年9月に「NPOわかやま環境ネットワーク」(前記市民団体の後継団体)が「地球温暖化対策の推進に関する法律」に基づく「和歌山県地球温暖化防止活動推進センター」に指定され、10年にしてようやく全県レベルで地域社会に働きかけてゆく足場を確保できたのが現段階の到達点だ。

地球温暖化問題について日々高まる社会的関心は、間違いなく私たちが取り組む環境市民活動の追い風になるだろう。また昨年12月に成立した有機農業推進法は、この国の有機農業とその普及推進の活動に画期的な飛躍をもたらす可能性がある。そしてここで最も大切なのはこの二つの分野をしっかり結びつけることだと思う。Think Globally Act Locally!(=地球規模で考え足元から行動しよう!=環境運動のスローガン)。端的に言って、人類史的な課題である地球レベルでの温暖化阻止は、生活レベルではこれまで述べたように有機農業をベースとする食&エネルギー自給地域社会の建設に着地点を見いだすべきだからだ。

和歌山県は、有機農業でも環境市民運動でも、決して先進に数えられることはない。だがそれだけに課題とやりがいだけは不自由しない。前途はまさに遼遠だが、子々孫々に緑の大地、清冽な水と清浄な大気を受け渡せるよう、微力を尽くしてゆきたいと思う。






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最終更新日  2007年06月27日 11時12分41秒
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