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テーマ:最近観た映画。(39239)
カテゴリ:環境
今夜は、 『北極のナヌー』という映画の試写を観てきた。 物語はホッキョクグマのナヌーの成長物語と、同じ頃に生を受けたセイウチのシーラのそれが並行して展開してゆく。北極の自然を生き延びること自体元々厳しいが、地球温暖化がもたらす変化がその困難を倍加、ナヌーの弟は餓死し、シーラは溺死寸前で九死に一生を得る。双方が命がけの苦難の末にたどり着いた島で、ナヌーとシーラは間接的に出会って・・・ 世界の地理や生態を可視化したグラフ誌で名を成したあの「ナショナル・ジオグラフィック」の制作とあって、映像は精緻を極め、実に美しい。母セイウチが人間のようにわが子を抱きしめ頬ずりをする様、ホッキョクグマがジャンプし氷をたたき割ってその下のアザラシを捕らえる瞬間など、驚くような貴重な映像も多い。動物の生態を捉えたドキュメンタリーとしての出来はまずまずといったところだろう。 ただ、こうした動物ドキュメンタリーで、動物に名前を付けるリスクは考慮すべきだと思う。下手をすると、ディズニー映画のように、動物の行動に人間が人間の観点から勝手な意義付けを与え、主役の動物に思いっきり感情移入させた上で、薄っぺらなヒューマニズムでお涙ちょうだいの安っぽい見せ物に堕落してしまう。動物の世界をありのままに伝えることを意図するなら、本来、人間じみた名前など付けてはいけない。 この映画で名前を与えられたのは、イヌイットの言葉で「氷海の王者・シロクマ」を指す「ナヌーク」にちなむナヌーとシーラだけだ。餓死するナヌーの弟にも、シーラの身代わりとなってシロクマに食われるシーラの母代わりにも名前は与えられていない。そうすることで、観客動員政策上、多少の感情移入は求めるけれど、それが行きすぎてディズニー化する愚を避けたということだろうと思う。 ともあれ、ナヌーとシーラはともに子供をもうけて(両方ともメスである)映画は終わるのだが、ハッピーエンドの印象は全くない。このまま温暖化が進めば、これら母子にどんな運命が待ちかまえているか、想像するだけで胸が痛くなる。今もなお、彼らは北の海で、命をつないでいるだろうか。その命は、これから先、いったい何年この世界に存続できるのか・・・ 人間は本当に罪深いと思う。 なお、この『北極のナヌー』、一般公開は10月15日から。1時間20分あまりの掌編だが、観ておく価値はあると思う。特に親子で地球温暖化を考える材料には最適だ。
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最終更新日
2007年10月01日 12時35分19秒
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