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環境・平和・山・世相 コジローのあれこれ風信帖

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2012年01月02日
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テーマ:ニュース(99378)
カテゴリ:社会

 とても「おめでとう」とは言えない気分ながら、ともあれ年は改まりました。今朝は6時から近くの片男波海水浴場を巡る7km弱のコースで走り初めをしたのですが、行く手を遮る地物のない海岸では西風が非常に強く、押し寄せてくる分厚い空気のかたまりをかき分けながらゆっくり前進するような感覚でした。

 高台の我が家に戻ると、強風に激しく梢や葉を震わせる庭木越しに、白浪が立つ紀淡海峡を挟んで淡路島の山並みや海岸がくっきりと見えています。強風が大気中のチリを吹き飛ばしてくれたおかげで、これほどクリアな視界が得られたのでしょう。しかし、今年の世界の行く末はもやに包まれたようで、十分な視界を得られません。果たしてこのもやを吹き払う強風は吹くでしょうか。

 今年、世界はそして日本はどのように動いてゆくのか。そうしたことどもを考えるにつけてまず最初に脳裏に浮かぶのは、3.11の前後では物事を考える基盤がまったく違ってしまったということです。わけても、世界を汚染した放射能はきわめて複雑な数々の問題を投げかけています。ひと言でいえば、放射能汚染への対処の仕方には定理化されるような正解などないと思うのですが、正解がない問題にも日々回答は求められていて、その難問をどのように解き、それに従ってどのような行動を支持するか、それが極度に難しいのです。

 例えば風評被害。福島県内で収穫された農産物を買って農家の再起を支援するのが正しいのか、それとも福島の農産物は汚染されたリスクが否定しがたくあるのだから、汚染は風評ではなく実害であり、作付けしたこと自体が誤りであったとして流通事態を禁じることが正しいのか・・・ 原発事故に責任を負うべき東電と政府に農産物を購入させろというのは一面正論ですが、いまどうみても起こり得ない正論は現実に対処するすべとしては何の意味もないし、たとえ万一実現したとしても廃棄を前提に買われることで農家のプライドがどれほど傷つくかの配慮も必要でしょう。

 一方、こんな議論をしている間にも、生き物である農産物は傷み、食料としての存在価値を物理的事実として刻々に失ってゆきます。そのときに必要なのは原理主義的なタテマエの回答ではなく、困難な事実を妥協も含めて受け入れ対処してゆく、現実的でたくましい生活者の知恵だと思うのです。

 昨年11月、福島の有機農業グループの著名なリーダーから話を聞く機会がありました。これまで親交を結んできた全国の有機農業グループなどから、遊休農地があるから移住してきてはどうかとの誘いが寄せられています。それを斡旋するNPOもできているし、現に移住して新たにそこで有機農業を始めた農家もあります。ですが、彼はその道を選びませんでした。

 移住の誘いに思いあまってグループで相談をしたときのこと、「福島で今後、有機でいくら頑張っても世間はそう評価してはくんねえべ」「子どものこともあるしサ、移住してやり直すって選択もありではねえか?」。しかしある仲間はこう応じたといいます。「頭では分かってんだよねぇ」「だけんどさぁ、ここんとこがさぁ」と自分の胸を指さし穏やかに笑ったと。リーダーはこう話しつつ一瞬天を仰いで溢れるものをこらえ、しばし押し黙り、やがて「だから俺たち、ここで頑張ることにしたんだぁ」と、喉の奥から声を絞り出して話を結びました。

 人とその人を取り巻く環境にはそれぞれの歴史もあれば思いもある。事態は原理原則でバサバサと裁断できるほど単純ではないのです。何の落ち度もない農家を、こうした状況、こうした悲愴な覚悟に追い込んだ者どもへの激しい怒りが燃えたぎるように沸き立ちます。

 しかし、それはそれ、現に彼が作って持ってきた農産物をどう扱うのか。それは、本当にこれ以上なく切実で、にもかかわらず正解のない問題なのでした。率直に言えばコジローはそのとき、7割は買って食べるべし、だけど3割は不安・・・といった感覚でした。しかし、リーダーの話を聞く前ならこの比率は逆だったかもしれません。

 1+1が2であることについては、100人の人がいれば100人が正解を出すでしょう。しかし、このリーダーが持ち込んだ農産物については恐らく、賛否・・・ではなくいわば濃淡100通りの感じ方があるはずです。これを乱暴に統一して無理矢理正解を決めてはいけないと思うのです。このような黒白ハッキリしない曖昧な状態に耐える苦しさ、放射能時代の困難はまさにここにあるのではないでしょうか。2012年、放射能汚染元年とも言うべき今年を起点に、徹頭徹尾、個々人の思考力、その原則性と柔軟性、さらにいえば思い悩む能力というか、悟性と感性のタフさが問われる時代になると思うのです。

 そして、放射能汚染社会の変革は、こうした100様の多様性を包括的に受け入れ、違いはお互い笑って保留し受け入れつつ、よりよい未来を志向して一致できる目標に絞った運動の発展の中に芽生えてくるのではないか。・・・と、そこにいま、小選挙区制と二大政党制でまさに死に瀕したこの国の民主主義再生のかすかな期待も抱きながら、今年はそうしたテーマを軸に据えて考え、また書いてゆきたいと思います。 ということで、本年もよろしく・・です。

 

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最終更新日  2012年01月03日 20時43分58秒
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