617465 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

環境・平和・山・世相 コジローのあれこれ風信帖

環境・平和・山・世相 コジローのあれこれ風信帖

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

コジネンコ

コジネンコ

フリーページ

カレンダー

お気に入りブログ

「特別支援」と教育… shchan_3さん

納古山再び・・・満… kiki2406さん

ぼたんの花 ぼたんの花さん
福山医療生協九条の会 や~っぴょんさん
ゆうこと5にゃんの… ゆうこ8838さん
2012年07月03日
XML
テーマ:ニュース(99472)
カテゴリ:社会

旧警戒区域.jpg

新警戒区域.jpg

 絵のペーストの仕方がよくわからないので(詳しい方、教えてください)、このような配置になったが、上は福島第1原発事故後、何度か改定されながら維持された警戒区域や計画的避難区域などの図、下は今年4月に採用された警戒区域や避難指示区域の概念図だ。(上の図の方が解像度が低いので、小さめにしてある)。

 上の図の「警戒区域」は福島第1原発から一律半径20kmに囲まれた区域で、住民や役場職員ですら基本的に自由な進入が認められない高度放射能汚染帯だ。地震と津波に被災した住民たちは、傷んだ家屋の補修どころか、行方不明者の捜索すらも許されず直ちに退去を余儀なくされ、 浪江、双葉、大熊、富岡、楢葉の5つの町の現地での機能は事実上この瞬間に全て失われた。一方、飯舘村や葛尾村など計画的避難区域は設定から1ヵ月以内に全住民が転出することを求められた地域で、住むことも仕事をすることもできない点では警戒区域と変わりない。

 が、事故から1年を経過した今年4月から、これが地域ごとに順次見直されている。使用されている言葉が非常にわかりづらいのだがザクッと説明すると、「警戒区域」の定義はそのまま改めて精密に測定した放射線量に応じ福島第一原発から半径20km内であっても一部これを解除する一方、半径20km外であっても高線量の地域を「帰還困難区域」に指定した。

 また、「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」の2カテゴリーを新設、「居住制限区域」は基本的にこれまでの「計画的避難区域」と同じ扱いで、住民の一時帰宅(宿泊は不可)や主要道路の通過交通が認められる。「避難指示解除準備区域」はこれに加え、製造業やこれに伴う輸送・保守管理業、それに一部の農業が認められる。

 下の図は飯舘村にも及んだ最新の指定状況で(適用は7月17日から)、さらに「計画的避難区域」の指定が残る葛尾村なども、正確な線量が把握でき次第、これらのカテゴリーに再編されるはずだ。

 こうした措置の妥当性について、コジローに評価する資格はない。ただ、現時点で行けるギリギリの所まで行ってみようと7月1日、津波被害が集中する海岸線に沿う細い道路を走り、道路の倒壊や橋の落下などで行き詰まっては国道6号線に逃げながら、宮城県山元町から福島県浜通りをひたすら南下した。

 やがて南相馬市も南部に入り、元の警戒区域内に入る。先に示した概念図でいえば、南相馬市南東部の緑色の部分だ。具体的に言うと「小高区」と呼ばれる地域で、この4月から警戒区域ではなくなったが今も居住が禁止されているため、無人地帯が広がっている。「無人」・・・を、どこで感じるのかというと、まず人を見かけないのは当然のことだが、どの車庫にも駐車場にも車がない、洗濯物がない、窓が開いていない・・・ 

 こうした町を目撃した印象を「死の町」と口走って首を切られた大臣がいたが(こちら参照)、他にどのように表現すればいいのか。コジローなど部外者でも入れる「避難指示解除準備地域」ですらそうなのだ。大臣がみた「警戒区域」は、まさにゴーストタウンそのものだったろう。

CIMG4840.jpg

 元「警戒区域で」は、震災後のがれき除去もまだ半ばだ。津波で流された車が、夏草に埋もれた農地にまだ多く放置されている。

 小さな写真ではわかりにくいが、左手後方にある球体は、南相馬市立福浦小学校の、おそらくは校舎の屋上に設置されていたであろう給水タンクだ。同小学校は壊滅し、現在、鹿島区の小学校に間借りしての授業を余儀なくされている。なお、南相馬市の震災被害は、死者926人、行方不明3人。 

CIMG4850.jpg

 遭難した消防車。南相馬市の名前がくっきりと読み取れる。もちろん詳しくは知らないのだが、こうした車に乗っていた人や消防団員の運命を思うと、胸騒ぎがする。

CIMG4835.jpg

 破壊された家屋もまだ撤去されず放置されている。

CIMG4838.jpg

いよいよ「警戒区域」の浪江町に近づいてきたので、国道6号線に戻り、一般車両が入れる限界まで走った。その終点がここだ。バリケードが張られ、数人の警官が厳重に警戒していた。もちろん中に入れてもらえるはずはないので、あっさり引き返す。

CIMG4846.jpg

 国道の警戒ぶりは予想通りだったので、海岸線沿いの間道がどうなってるか、確かめに回ってみる。まず最初はここ。浪江町の標識を左に見てすんなり入れたので、どこまで走れるのかと思ったが・・・

CIMG4845.jpg

 100m先に、このようなバリケードが設置されていた。あたりに警戒する人はおらず、簡単に侵入できそうだが、無断進入は罰金10万円に処される。

CIMG4848.jpg

 別の間道を入ってみたが、状況は同じだった。ま、当然だと思うけど。

CIMG4859.jpg

 常磐線小高駅前、つまりこの地域のメインストリートだが、傾いた建物や津波でひっくり返された車は放置され、人っ子ひとり見かけない。カラスだけがやけに元気だった。

 

CIMG4857.jpg

 そんななか、一軒だけ、昼間から明かりをともした店を見つけた。上水道は当分ダメだが、電気は来ているようだ。

 やはり小さな写真では見えにくいと思うが、おしゃれな建物に吊り下げられた垂れ幕は、「菓詩工房は、小高区民とともに、必ず復活!」と書いてある。

CIMG4856.jpg 

 その下の玄関前に置かれた黒板。原発事故さえなければ、きっとこの黒板には今日も、お店自信のお薦めメニューが記され、通行する人々の目を引いていたに違いない。 ・・・その高らかな決意を謳う文字に心から共感し、連帯感を覚える一方で、むしろそれまでの道のりの遠さ、失われた時間の巨大さを思った。

Z.gif ←ランキングに参加してます。ワンクリックご協力を。

 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年07月03日 23時12分55秒
コメント(1) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.