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カテゴリ:江戸ぶら、ぼてふり、
ぶらり甲州道 6 日野宿から八王子横山宿 6 日本橋 ~内藤新宿 ~下高井戸 ~上高井戸 –~ 国領 ~ 下布田 ~上布田 ~下石原 ~上石原 ~府中~日野、そして、今回の旅の終りの八王子宿に入った。 甲州道は八王子を過ぎると、駒木野、小仏関所と続き、武田信玄の城であった徳川幕府の直轄領で甲府勤番を置いている甲斐の国へ続いている。 日本橋からおよそ12里(46km)、八王子は幕府直轄の天領であり 横山宿 横山宿、八日市宿、八幡宿の三宿を中心に十五の宿があり、 本陣2、脇本陣3、旅籠34軒を抱え、伝馬囲い八人八疋の宿場であり、横山十五宿と呼ばれ、甲州道一の賑わいを見せていた。 「ご隠居、横山宿の宿はどこにいたしましょうかね、飯盛り女も多いと聞いてますよ、」 宿の客引きが街道に出ていて道行く人の袖を曳いいていた。 「彦五郎の言う通り、横山宿には、絹の取引商人などが多く集まるのでな、 彼らを当てにする飯盛り女が100人を下らないとも言われているがな、 幕府からは、華美な衣装や派手な振る舞いは禁止されておるのじゃ、 内藤新宿などに比べれば近在の百姓女だからな、地味な飯盛り女じゃよ、 わしゃあ、ご容赦願うよ」 幕末期、横浜開港により絹が幕府の主要な輸出産品となると、古くから養蚕や織物業が盛んだった八王子はますます栄えることになった。 村々には蚕の餌となる桑畑が広がり、桑都(そうと)呼ばれるほどだった。 それに、八王子は甲州道の他に滝山街道、横浜と結ぶ浜街道(絹の道) が交差する交通の要でもあったのだで、 武蔵の国の各地から横浜へ送り出す絹製品の輸送の中継地としての役割もこなし、 横山宿内には甲斐国、信濃国などからも、大量に生糸などが運び込まれる様に成り、織物がますます隆盛になった。 横浜、江戸、信濃、武蔵からの絹商人の出入りも多く、横山宿や八日市宿では絹製品を取引する市がたち、横山宿では四日、十四日、二十四日と四のつく日に市が開かれ、八日市宿では八日、十八日、二十八日、と八のつく日に市が開かれていて、 絹商人の出入りも多くて大変な盛況を見せていた。 市には生糸や織物のほか野菜や魚なども売られるようになり大変賑わうのだった。 「ところで、ご隠居、背中の荷はいつになったら降ろすのでございますか?」 「すまぬ、もうすこしだ、、」 つづく 朽木一空
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最終更新日
2023年03月16日 10時30分07秒
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