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カテゴリ:江戸ぶら、ぼてふり、
ぶらり甲州道7 八王子千人隊 「彦五郎、なんといっても八王子では八王子千人隊(八王子千人同心)を抜きには語れないのだよ、 徳川家康は江戸城西の甲州道の護りとして、旧武田家遺臣から構成する 八王子千人同心を組織したのだよ。 八王子千人同心は旗本身分の千人頭の10名によって、それぞれ100名ずつが統率されているのだ。 八王子千人同心は日光奉行配下で交替で日光東照宮の「火の番屋敷」に詰める日光勤番も勤めた。東照宮の山内の見回り、警備、防火、消火を担当しておるのじゃ。 千人頭2名、1組50人の計100人が、10組にわかれ50日単位で交代勤務しているのじゃ。 普段は、甲州口の警備と治安維持の任にあたり、幕府から手当は支給される武士の身分でありながら、農地を与えられ平素は平時は農耕に従事し、年貢も納めている、 二足の草鞋(わらじ)をはくことを許されている江戸幕府の中でも極めて異例な身分なのだ。 千人同心の頭の約100名は千人町の拝領屋敷を与えられて住んでおるのだが、 他のほとんどの同心は周辺の村に住み、農地を与えられ、農耕にも従事しておるのじゃよ。 千人町にある拝領屋敷では剣術や学問など武士の嗜みを教える場もあり、 組頭は在住して配下の800人の平同心を鍛えておるのだ。 日野宿の新選組隊士の井上源三郎の兄の松五郎も千人同心なのだよ。 彦五郎、ご苦労であった、背負ってもらったその荷の中にはな、 柳生宗矩が新陰流の剣理の道を説いた兵法家伝書が入っているのじゃよ、 ~兵法は人を斬るとばかりおもふは、ひがごと也。 人を斬るにはあらず、悪を殺す也~ ~乱れたる世を治める為に、殺人刀を用ゐて、 巳に治まる時は、殺人刀即ち活人剣ならずや~ いい言葉が収められているそうじゃ、のう彦五郎、、 それを、わしが昔世話になった 千人頭の旗本200石取の森田鑑三という方に届けするのが今回の甲州道の旅の第二の目的なのだったのじゃ、」 「それにしてはずいぶんと荷の重い旅じゃござんせか、ご隠居、」 「兵法家伝書だけじゃ味気が無いだろうから、 江戸の土産としてなほ、日本橋で喜太郎という者が売りだした評判の羊羹が入っておるのじゃ、それで重いのじゃ、ご苦労であった。」 「では後程、褒美に浴びるほどの酒を所望いたしまする、」 福右衛門が千人同心頭の森田鑑三に兵法書と羊羹の土産を渡し、 彦五郎、やっと重き荷から放たれてほっと息をついた。 江戸時代、旅人は1日にほぼ10里(約40km)を歩いた。 福右衛門と彦五郎も高井戸宿で馬に乗ったことを差し引けば、 ほぼその距離(日本橋から八王子12里)を歩いたことになる。 ようやく、福右衛門と彦五郎は横山宿の吉野家という 旅籠に宿を定めて茶を飲んで一息入れていた。 暮れ六つにかかり辺りに薄暗くなり、掛行灯に明かりが入ったが、 まだ甲州道は人の行き来でざわついていた。 「ご隠居、なんだかおもしろい歌が聞こえてきましたよ、」 町の角から子供らが輪になって歌う声が聞こえてきた。 ~ずいずい ずいっころばし ごまみそ ずい ちゃつぼに おわれて とっぴんしゃん ぬけたら どんどこしょ、たわらの 鼠が 米食って チュウ チュウ チュウ チュウ~ 「ずいずいずっこばしの歌だな、甲州道にはな茶壷道中が通るのだよ、」 「何ですか、その茶壷道中というのは?」 「宇治の茶を江戸城の将軍様にに運ぶ行列のことじゃよ、 街道の庶民が茶壷道中に失礼があってはならない、 茶壷道中が街道を通るときに沿道にいてはいけないことになっておるのじゃ、 なので、茶壷道中に追われて戸をどっぴんしゃんというわけだ。 庶民に甚だ迷惑な茶壷道中だが、毎年、八十八屋の頃に甲州道を通るのだ。 その日には 賑やかな甲州道中も死んだように静かになるそうだ。」 ご隠居福右衛門と彦五郎は酒をたらふく飲み眠りについた。 終わり 朽木一空
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最終更新日
2023年03月18日 10時30分06秒
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