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カテゴリ:橋番、木戸番、自身番、辻番噺
辻番所 辻番請負人 出羽、童山藩二万石はお家騒動が原因で改易(お取り潰し)になり、 藩主は切腹を免れたものの他藩に預けられ蟄居させられた。 だが、迷惑千万なのは、己のお役目には何の不届きもないのに、 城を追われて浪人の身分になる家臣たちだった。 大名を改易し領地を幕府が没収し再編することは、 江戸幕府が権力を示し政治秩序を守るための常套手段であったのだ。 どの藩も内部にも弱点や泣きどころを抱えており、 幕府が改易すべきだと目を着ければ、大目付配下の隠密を領内に忍び込ませて 探り、改易の材料を見つけ出せば一巻のお終いだった。 出羽童山藩、藩士の 陰山退助も改易の煽りを受けて、城を追い出され、 妻子を抱えて流浪の身となってしまったのである。 浪人となった旧藩士は武士の身分を捨てることは忍びない故、 士官の道(他藩への就職)を求めて各地を流浪することになるのだ。 陰山退助も妻子を連れて流浪しながら士官の道を探したが、 特段剣術の腕に覚えがあるわけでもなく、帳付けや算盤に 優れているわけでもなく、士官の道は遠く、江戸へ流れ着いて裏長屋で細々と暮らしていた。 江戸には大名改易の煽りを受けて、諸国から流れ着いた浪人たちがあぶれていたのだった。 士官の道を求めても叶わず、渡り中間や門番、荷揚げ人足などをしながら 貧苦の暮らしに耐えていたのだった。 陰山退助も同様で、裏長屋でせっせと傘張りをし、女房のおけいが 破れの縫込みの仕立ての直しをして何とか食いつないでいた。 だが、苦労がたたったのか、おけいが労咳に罹り寝込んでしまったのだ。 そうなると、薬代もかかりとても傘張りなどでは凌げない。 陰山退助は恥も捨て、武士も捨てる覚悟で、稼ぎのいい仕事を求めて、 江戸中の口入れ屋を訪ねた。 万事休す、もうだめかと諦めあかけた時、 ~捨てる神あれば救う神あり~であった。 日本橋通り油町にある口入れ屋天番屋であった。 蔦が絡まっていて寂れた構えの店で客の姿もまばらな口入屋であったが、 後のない陰山退助に躊躇いはなかった。その口入れ屋の暖簾を潜った。 その口入れ屋天番屋は辻番人の仲介専業であった。 ~お主、剣の腕も立ちそうじゃ、~ 口入屋天番屋権蔵はじろっと、陰山退助を見回すと満足そうに頷いた。 だが、陰山退助は見栄えは一人前の侍の風体をしていたが、 腰にぶら下げている両刀もすでに質屋に入れてあり竹光であったが、 そのことは口にせずにいた。 ~悪いことをするわけではない、ご法度に触れるようなことをするわけではない、 辻番所の請負人だ。給金は前金で月三両でどうじゃ、受けるか?~ 貧乏浪人にとっては破格の条件であった。 辻番請負人がどういう仕事なのかよく飲みこめてはいなかったが、背に腹は代えられぬ、陰山退助にとっては棚から牡丹餅、降ってわいたようなうまい話だったのである。 ~うむ、そのお役目承ろう~ 陰山退助は妻子もろとも大川に身を投げずに済んだのであった。 つづく 朽木一空
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最終更新日
2024年03月14日 10時30分06秒
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