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2008.10.13
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カテゴリ:カテゴリ未分類
この旗は清朝が崩壊してから成立した北洋軍閥のものである。
中華民国と名乗っていたのは一部の弱小政権だけである。
政権てのも嘘で清朝の各地を治めていた軍隊がクーデター起こして勝手に正統政府を称していただけである。

中華民国の初期の旗でなく、北洋軍閥連合政府の旗である。

五色の意匠は、孫中山(孫文)が唱えた中華民族を纏め上げる為に協力されべき主要五族を象徴するものだ。
その五族とは滿漢蒙蔵回の事で、滿は滿洲人(旗人)、漢はその名の通り漢人(支那人)、蒙は蒙古人(モンゴル人)、蔵は烏斯蔵(ウ・ツァン)の地方に住まう人達、詰まりチベット人の事であり、最後の回と言うのは回々教(フイフイ教)の略であり、イスラム教を信奉する人達を指す言葉であった。
尤も現在の共産党が推し進めて来た民族識別工作によって、このイスラム教を信じている民族と言うのは細分化されてしまった。
当時の支那大陸の人間には言葉や生活様式がバラバラな人間の区別なんぞついていなかった。
共産党が支配している地域でイスラム教を信じている民族なんて、ウイグル人(本当は東トルコ人)、カザフ人、キルギズ人、タジク人(ペルシャ人)、回族(イスラム教徒の漢人)等である。
工作によって現在は56迄あるが一時期は200を超えていたと言う。
勿論ロシア人もいるが帝政時代の移住者の末裔であり、東方正教会を信じている。

五族共和っつっても実際は異人だらけで構成されてたから、清朝よりも格下の軍閥の軍門に下ろうなんて誰も思いもしておらず、皆勝手に独立していった。
当時ですらモンゴル、チベット、東トルキスタンは北洋軍閥の力が及んでおらず事実上独立していた。
尤も北洋ってくらいだから全土を支配している訳でも無く、南京は別の政権が立てていた。
そしてその北洋軍閥ですら、分裂や離合集散を繰り返しつつ、そこから離れて滿洲にも独立政権を打ち立てたのが先にも取り上げた張作霖の奉天軍閥なのである。

張作霖は滿洲王と呼ばれ、事実上独立国家であった。

張作霖は関東軍にケツモチされながら、片や反日ボイコット運動をやっていた。
それで業を煮やした関東軍は張作霖を列車ごと爆殺させるのである。
結局奉天軍閥に代わって君臨したのが嘗ての清朝の残滓たる王朝だった。
滿洲國である。
関東軍が滿鐵保護の為に打ち立てたのだが、国旗はこの五色の旗の黄色部分が全体となって残り四色がカントン部として配置されてるものである。

滿洲に住んでたのは移住して来た支那人達である。
彼等は滿洲國建国には滿洲人となった。
その頃既に滿漢一体久しいので、区別なんて殆んどついていない。
滿洲人(旗人)も名前が漢風で、言葉も忘れいていた。

とは言うものの、滿洲國でもやはり五族共和が謳われていた。
勿論、チベットやムスリム(回族)は遠過ぎて五族には入っていない。
その代わり、日鮮滿蒙漢となっている。
やはり滿洲國は中華民国の双子の様な国だったのだ。
カザフスタンがアジアのロシアのように。
カザフスタンは中央アジアだがソ連を構成していた国で、南を瞠る為の前線基地のようなもので、ソ連時代にはロケット基地も建てられていた。
そんで多くのスラブ族も入って来たので多民族国家となった。

いずれ張作霖が蒋介石にビビらず、頑なに意地を張っていれば関東軍の後ろ盾で張作霖の滿洲帝國が出来てたかも知れない。

張氏後滿とか。
だけどその張作霖は援助受けながら裏切って(実際は北伐にビビって)、英米に接近しつつ排日ボイコット運動をけしかけていた。

結局頼りにならん張作霖を殺して関東軍が滿洲を仕切る他なかった。

十五年戦争史観では滿洲侵掠から入るそうなのだ。
しかしよく左翼が使うフレーズとして彼等オリジナルかも知れないが、こんな発想も元々アメリカが植え付けたものだ。

副島&ロシナンテの漫画本にもあるが、滿洲に関しては侵掠だとは言ってない。
尤も支那事變からとしているが…。

滿洲は侵掠ではない。
この話こそは、別の機会にするが。

そう言えば蒼天の拳はちょっと後ろめたいがあの辺りの時代を取り上げている。
原哲夫自身後からよく調べているのだろう。

中国人もボロクソに描かれているな。
当時の呼び名は紛れもなく「支那」だったけど、言葉狩りに遭うのを恐れてか「中原(ちゅうげん)」という言葉でお茶を濁しているな。

中原とは中国、中華と同義語。

中国なんて、今迄言って来ているが各々の軍閥や党国家が勝手に言ってたのだ。
どれをとっても正統な政府ではない。
そんなこんなで、「支那」と呼んでいた。

結局中華が共産党が取ったのでそれから言うようになった。






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Last updated  2008.10.16 04:01:44
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