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カテゴリ:日々について
今日の新聞を見ていると、一面に「いじめの定義」の見直しを行う、という記事が載っていました。
これを見た瞬間、私は?マークが頭を駆け巡りました。 そもそも、いじめに定義があるのか!?ということです。 まず、この定義づけをする視点がちょっとおかしいのではと感じています。 過去五年間の調査でいじめが原因の自殺はゼロということらしく、でも実際に起こっているため策定しなおすということです。 統計を出すために定義するような、そんな感じに受け取れてしまいました。 言ってみれば、責任追及材料を取得するための定義といった感じです。 また、定義によって、その行為が当てはまっていなかったら、それはいじめではないと言うとになります。 しかし、例えばA君が、B君とC君をからかっていたとします。 B君はただ単に、からかわれていると思うだけかもしれません。 しかしC君にしてみれば、いじめられていると感じるかもしれません。 また、B君も当初はからかわれていると思っていても、数がかさめば、それがいじめられているという感情に変化するかもしれません。 人はそれまでの環境など、さまざまな要因で心に受ける感じ方は、千差万別だと思います。 本人がいじめを受けたと感じれば、それはいじめだと思うのです。 だからそれを定義として、ひとくくりで片付けてしまうのは無理があるのではないかと。 私が思うに、いじめが発覚した時点では、かなり問題が深刻化していると思います。 ハインリッツの法則に当てはめて考えるとよくわかると思います。 1:29:300の法則です。 →→→ 自殺が起こった時、その前兆として29件の出来事は、既に周りの人が察知していることになります。 この時点で周りは、何かおかしいなと感じているはずです。 また更にその前兆として、まわりが見て笑うような些細なこと(或いは、からかいと取れるようなこと、無視されるようなこと)が300件起こっているということです。 社会から、いじめがなくなることは考えにくいですが、この部分に着手しなければ、手遅れになってしまうように感じています。 みなさんはどう感じていますでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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