テーマ:生き方上手(688)
カテゴリ:生き方上手
今日で5月も終わりですね。
気分転換にデザインを変えてみました。 今日は、ふとさっき手に取った「人びとの中の私」(曾野綾子著) のご紹介をします。 読み返して改めて、自分は曾野綾子さんの本に多大な影響を受けたと思うのですが、単純だった私に、人間というものの複雑さや、弱さや、不完全さを教えてくれたのが、曾野綾子さんだったように思います。 「私は時々、不思議に思うのだが、世の中には、いい年をして(いい年というのは、いくつぐらいだと聞かれたら、私は一応、15歳くらい、と答えようかと考えている)まだ、他人が自分を正しく理解してくれない、と言って嘆いている人がいるのである。或人間が、他人を心の底まで正しく読みとれるなどということは、ふつうに考えても、あり得ないことなのに、それが、15になってもまだ分からないのである」 この本を読んだとき、私もまさしくその15歳だったようです。ギクッとしましたね。人が自分を理解してくれないと嘆くことなんて、はじめからナンセンスなことなのね~!と、一気に目が開けました。 曾野さんの別の本に「絶望からの出発」という教育論の本もありますが、あまり期待しないところから出発するというのは、人生をしなやかに生きていく上でとても大事なことなのではないかという気がします。 「人間は分裂的な目を持つべきなのである。几帳面がいつもいいものではない、と思えれば、大したもので、そうなればだらしのない人を許すこともでき、周囲の人を心理的に圧迫しないでもすむ。 また、優しい人は、優しさは美徳かどうか分からないのであって、もしかしたら、卑怯な自分の保身の術かも知れない、と考えることをすすめる。 『これでいいということはないのだ』という一言は、残酷すぎるようだが、私は若い人に言いたいのである。人生はいつの一刻をとっても、未完成で、これで完全になった、ということはない。だから、万人にいいといわれる性格も、完全性をうたう全体主義の政治も共にまやかしである。だからといって、いいことを目指す必要がない、というわけではない。永遠に、完全に到達しない戦いを戦うことこそ、本当の勇者の戦いと言うべきなのである。」 ひとことで言うと、これらの曾野綾子さんの本を読むことによって、柔軟さの訓練を受けたような感じです。すべての物事にはいい面と悪い面の両方があるということが分かっていると、打ちのめされることがないし、気持ちの切り替えも早くなります。そして、ほとんどの場合、寛容になれます。 今の時代は、もっと柔らかい表現でほんわかした感じの本が多いですが、この本はかなりずばずば、多少、偽悪的かなという気さえする本です。偽悪的な部分は差し引いて、穏やかに生きればよろしいと思いますが、柔軟さは見習う価値有りです。 人気blogランキング、応援してね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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