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週末、友達のゲーム開発者と話したのですが、つくづく
「マシンパワーに頼っただけの草刈りゲームは作りたくないな」ということで合意しました。 草刈りゲームとは、たとえばアクションゲームで敵が単純に大量に表示され、それをプレイヤーがボタンを連打するだけで派手なエフェクトと共にガンガンと倒せるゲーム。 これ、一見面白いように思えますが、面白いのは最初だけ。すぐに飽きます。こういうゲームを「草刈りゲーム」と呼んでいるのですが。 正直、作り手としては何も考えなくていい、楽な作り方です(難易度は敵の数や硬さで調整など)。しかし、この手のゲームはどんなにエフェクトを派手にしても、500HIT!みたいなコンボ表示をしても盛り上がりません。 理由は簡単で、緩急がないから。どんなに数を倒しても単なる単純作業になってしまえば、プレイヤーは退屈します。それを誤魔化すためにムービーを入れたり、豪華なCG背景を作っても、最終的にプレイヤーが芝刈り機になったと感じさせるようなゲームじゃダメだろうと思います。 地球防衛軍やレギンレイヴを作るサンドロットの作品を私が好きな理由は「常にプレイヤーが能動的にゲームを進められる」ことで。この2つのゲーム、一見大味な作品に見えますが、敵の思考ルーチンや武器のバランス、使いどころ、そしてリスクとリターンが非常に高いところでバランスをとっていて、やっている事は「画面上の敵の殲滅」なのに、飽きさせない。同じステージでも武器の選択次第で難易度が全然違ったり、敵の倒し方も難易度や状況によって毎回変化したり。そして、プレイヤーの腕の上達がはっきり感じられるのがうれしいゲームですね。 私がゲームのプレイ動画評論家を信用しないのは、このあたりにも出ています。例えば同じ弾幕を避け、敵を破壊するだけの縦シューティングでも名作も駄作も存在する。しかし、その差はプレイ動画だけではほとんどわかりません。一体、何を持って評論しているのか? 単にきれいな画面で敵とエフェクトをいっぱい出せればいいゲーム、にならないのがゲームが他の映画やアニメ等の映像文化と違うところ。そして、その面白さこそがゲームが映画を超えられる最大の武器であるはずです。(スーパーマリオだって、見た目は画面を小さなキャラがぴょンぴょン飛び跳ねているだけですし) と、言う訳で単純にマシンパワーに頼った、草刈りゲームは作りたくないと、しみじみ思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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