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藤子F先生のエスパー魔美において「くたばれ評論家」というエピソードがあります。魔美の父親の絵が評論家に徹底的にけなされた事に怒り、その評論家に超能力でいたずらをしたところ、父親に諭される、という有名なお話で。
「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ」 この言葉はプロ、アマ問わずにモノを発表するという行為においての覚悟みたいなものです。そして 「剣鋭介に批評の権利があれば、ぼくにだっておこる権利がある!! あいつはけなした! ぼくはおこった! それでこの一件はおしまい!!」 と、実は評論の価値なんていうのもは案外この程度の意味しかないものかもしれない、という。だから作り手はあんまり気にするな、ということかもしれません。 ただ、最近はネットなどでゲームもアニメもマンガも原典を「見ていない、やっていない、買っていないのに流れている情報で評論家面する輩が増えた」ことはなんとも・・・あくまで自分の目で、頭で判断した批評であるなら作り手も文句が言えません。けど「○○って××がダメらしい、だからクソゲー」といった、ネガティブキャンペーンをするような真似はするなと。それは評論たりえないものを評論として語っている人ですから。 以前に辛口評論もする某映画監督が、ある映画を見ていないのにイメージで批判していましたけど、その行為を見た私のその監督に対する評価をぐっと下げました。 この手の安易な評論は、自分も批評される結果になる、というお話でもあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.08.18 08:33:43
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