個人の発信する発言責任について考えたこと。今週のTBSラジオ「伊集院光 深夜の馬鹿力」内でDJ本人も悩みながら語っていましたが、深夜のファミレスでネタ選びをしつつ自分のツイッターを見ていたところ、フォロワーから「今、伊集院さんこんなこと書かれてます」的なツイート。それは、その人とは別の女性が「今、ファミレスに伊集院発見、野ズラすぎ」みたいなもの。で、ファミレス内には4人しかおらず、誰だかすぐに特定できてしまうという。
で、DJ的には「これ、ラジオで話していいのか?」ということ。このことを放送すれば、伊集院のファンが逆検索欠ければあっという間にその女性を特定できる。で、それが元で炎上するかもしれない。けど、普段日常にあったことを語るのが職業のDJにとって、こういうネタを逃すのはどうかということでもあり。そして結局その女性本人の目の前に立って「今、ツイーとされたことをラジオで話すかもしれない」的な声をかけたところ、相手は予想外だったらしくおびえていた、のような顛末。
こういう場合「発言の内容に責任を取る」の本当の意味が変わってきて。たとえば私は「タレントなんだから失礼な事を言われても我慢しろ」というのは言う側の傲慢だと思ってます。有名人だろうが一般人だろうが、相手に失礼な事を言うのはそれなりの報いを受ける。まして影響力の強いタレントにツイッターというネット上の同じ土俵に上がってしまった以上、同等の影響力を自分が持つことにもなる。一般人だからタレント側が配慮しろ、というのは都合のいい話であり。
上の放送でも言葉の端々に「気を使っている」のが読み取れましたが、よく「公共の電波に乗せるのとネットで個人がつぶやくのは違う」と言っている人がいますがネットも公共の、それこそラジオ以上の簡単にアクセスできる世界です。そして放送局の検閲が基本ない以上、全責任を自分が追うことになる。それこそちょっとした発言で大炎上し、私生活にも影響する場合もある。
表現の自由がある世界というのは自分を守るのも自分の責任であり。調子に乗って自分がいつ「攻撃対象になるか」なんてわからない。
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最終更新日
2015.01.28 09:42:06
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