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IWCを脱退 商業捕鯨再開へ
ついにやっちまったなと・・・しかも無駄に国際的非難を受けるだけで実質食文化を守るためでも何でもない暴挙を・・・ ここで勘違いしている人がいるので説明。実は以前、IWCで「自国の沿岸における捕鯨の解禁」は認められる手前まで来たんです。が、それを蹴ったのは日本。あくまで遠洋捕獲、つまり戦後の乱獲時代にまで戻そうとしていた。だから非難されたんです。 このあたりを2017年の山本太郎議員が水産庁に質問している動画がありますが、これを見てもまだ「国際世論を敵に回しても遠洋捕鯨は重要」と思うか? 考えればわかりますが、もともと鎖国をしていたこの国の捕鯨は基本、エンジン動力のない時代、沿岸にやってきたわずかな数のクジラを取るというのが「伝統的捕鯨」です。ですので世界中の資源を取りつくすような規模はやっていない。また、当時は当然冷凍技術もなく、食べられるのは一部海岸の地域のみ。それこそ日本の伝統食などではない、いわゆる地方料理の枠内です。 では日本の鯨肉食文化が一気に広がったのはいつか?それは近代化によって遠洋まで捕鯨が可能になってから。しかも、戦後の食糧難で乱獲が行われたが、その鯨肉も牛や豚といった一般畜産肉がメジャーになるのと反比例して減っていく。日本が捕鯨を辞めた時代、すでに需要がない食材になっていた。例えるなら戦争中、食べるものがなくて一部地域で行われていたバッタやイナゴを食べていたものを、もうそういう時代でなくなった、にもかかわらず「伝統的食文化」にすり替えようとしているだけです。古来より伝統的に食べている私の田舎のような長野県南部の珍味でしかない。 では、現在クジラ肉は求められているか?というと、調査捕鯨で取られたクジラ肉さえ国内では余剰在庫がありあまっている(クジラ肉そのものに需要がない)豚、牛、鳥といった獣肉に比べると高級でも、安価でもない、半端な肉になる。そのうえ、私や私の親の世代ではクジラ肉は給食に出ていたのですが下処理のダメさもあり、うまい肉の記憶も少ない。それより下の世代は食べた経験すらない。 そんな時代の中「日本のクジラ文化を!」なんて大人になって「そういや昔、学校の給食で食った揚げパン、また食いたいな」ぐらいの需要しかない。 国際組織の枠から脱退してまで浸る価値のあるノスタルジーだろうか? で、なぜこれほどまで強硬にこだわるかというと、結局利権なんです。それも「捕鯨文化を守る」という組織を守るためという、最悪のこだわりになっていて。ここには需要も、予算的価値も、伝統文化的側面もまったくない。 これはクジラだけでなく、うなぎ、マグロ、そしてサンマと・・・どんどん減少が言われている水産資源に対する日本の水産庁の対応まんまです。現状維持の目的が「水産資源の現状維持」ではなく「既得権の現状維持」になっている。内容はどうでもいい。 私がどうして日本政府の捕鯨に反対するか?それはクジラが生育の遅い哺乳類である、というのが大きいです。たとえば魚類のように一度の大量の卵を産む生物の場合、一時期乱獲で数が減っても漁獲を止めると数年~10年ほどで回復することが可能です(秋田のハタハタみたいに)。が、生育が牛、豚、鶏などより圧倒的に遅い、しかも一度の出産数が少ない個体のクジラは回復が難しくなる。それはわずか数十年で絶滅の危機にまで追いやった戦後の乱獲が証明しています。 そんなことなんですよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
ノスタルジーっや利権ってのはそうでしょうね。
そもそも、領海やEEZ内でしかとらないならIWCを脱退する必要はなかったわけですし。 ただ鯨の資源量に関しては、そこまで大きな問題にはならないと思います。 これは、加工できる業者がほとんどいいないからです。 大規模な漁業となると、それを受けきれる加工業者が必須になりますが、空白期間が長すぎて、そこの受け皿がなく水産大手三社も儲かる見込みがないのでやる気がないです。 ここで、政府というか政治家の肝いりで鯨食べようキャンペーンでもやったらさすがに引きますが。 あと、水産資源に関しては去年大きな転換期を迎えており、少しは守る意識が出恥じてはいるようです。これが適切に運用されて効果が出るかどうかはもう少し見ていかないとだめだとは思いますが。 水産庁も何もしていないわけではないのです。 責任転嫁はひどいですし、動きも遅すぎるとは思いますが。 (2019.07.01 14:15:33) |
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