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考えてみると、たとえば私の親の世代は「俺の酒が飲めないのか」文化が普通であった。父は公務員だったが、週末はいつも同僚と飲み屋で一杯、自宅でも晩酌をしていた。それが普通だった。私も大人になったらああいう付き合いなのだろうなと思っていた。
しかし、現実は違った。行った業界先では社内で個人的に酒を飲む人の方が少ない、そういう業界で。もちろん、仲のいい同僚と飲みに行く人もいるが、むしろ食事とか、喫茶店やファーストフード店でおしゃべり、の人の方が多い。 また、これは私だけでなく、以前新聞のアンケートで「社内での飲み会に参加したいか?」というものに6割が「参加したくない」と・・・過半数が仕方なく付き合っている実情が露呈しました。 つまり、酔っぱらうという文化がどんどん「悪いもの」にシフトしている。 酒に酔った勢いでの暴行、破壊、醜態を「酒の上だから・・・」となあなあにしない。これは酒を飲もうと飲んでなかろうと、傷つけられた側にとっては同じ痛みだから、ということがようやく理解されてきたのだと思う。 私は酒は人類の立派な文化だと思う。しかし、そこで行われた暴力や醜態は文化ではない。単なる個人の失態であり。最初に書いた「俺の酒が飲めねえのか」のような行為はセクハラ、パワハラと同じくアルコールハラスメントとしてもはや許されない時代になっているんだと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.11.11 15:01:13
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