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日本という国は、民衆のデモというもの、あるいは政治に対する抗議活動を「かっこ悪いもの、みっともないもの、愚かな行為」とする教育がいきわたっているのだなあという情けない思いをしたケース。
香港の民主化運動で、現地在住の学生で、日本のサブカルにも詳しく、そして、日本語ペラペラでTBSラジオの「荻上チキ セッション22」にも登場し、現地の報告をしてくれるアグネス・チョウさんのツイッターで、日本人の旅行者が現地の暴動を見に行ったところ警察に捕まり、取り調べを受けたということに関して 「私は正直、日本の皆さんが香港警察の暴行より何もしていない(捕まった)日本人を非難しているのかわかりません。何もしていなかった彼が逮捕されるという理由はありません」と、これが異常なことだと思わず、ネット世論で「そんな危険な場所に行く方が悪い」という被害者バッシングになっている。 これと同じ光景はつい数年前、ISが台頭する中東に取材に行って拘束された日本のジャーナリストに対して「そんな危険な場所に行く方が悪い」と。しかし、ジャーナリストの神保哲夫さんが「危険な場所になぜ行くんだという意見は、ではあなたはその場所が危険であるということをどうやって知ったか?それを知らせる、現地の惨状を知ることができたのはそういうジャーナリストがいたからだろう」と反論されていました。 以前の私なら「そんな危険な場所に行った方が悪い」という、自己責任論で片付けていたと思います。が、冷静に考えればいい。今、香港では人権を大きく奪われる法案が、民意を無視して成立しそうになっていた、それに対して抗議することを、警察が武力をもって制圧、また、いわれのない逮捕、拘束をすることが許されている。これは天安門事件と全く同じ。 それに対して、なぜ上のネット世論のように「危険な場所に行く方が悪い」扱いなのか?誰もが、いわれのない理由で逮捕されることを許したら、それこそあなたも明日、突然あいまいな理由で警察に捕まることを「仕方ない」と許せるのかということになる。 これって日本は対岸の火事じゃなくて、たとえば生まれながらに父親に中東の血の入っている日系人の男性が、職務質問を受けて「パスポートを所持していない」という理由で警察に拘束された(その人は日本生まれで両親も帰化しているから顔が濃いというだけの完全な日本人。パスポートを持つ必要がない)ほかにも、仕事道具としてペンケースにカッターナイフを入れていたリュックを背負っていたら警察に職務質問、そのまま刃物を持っていたとして拘束された漫画家のアシスタントさん、首相の選挙演説にヤジを飛ばしたらなぜか警察官に囲まれ拘束、しかし、いまだ拘束された理由をはっきりせず(他の政党の選挙演説でのヤジは放置しているのに)開放など、警察権力による一方的な拘束のケースなどいくらでもあります。 というか、本来、香港という場所が内乱状態になるきっかけを作って、それでも推し進める香港政府、中国政府の方をなぜ擁護するのか? ここには日本のデモや学生運動は怪しい、むしろ危険分子だ、と思う60.70年安保闘争での結末から生まれた冷笑主義がずっと尾を引いているのではないかと。結果「不平不満があってもお上がやることに文句を言ってはいけない」という同調圧力が強くなった、それは今の内閣のバカなことを許しているのに通じています。 最初の話に戻りますが、アグネス・チョウさんの言葉は本当に一度日本人として考え直さないといけない。捕まった方が悪いのではない。理由なく捕まえるほうが悪いのだと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.11.23 10:33:57
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