今日は地区の馬頭観世音大祭典(馬頭観音祭)の日である。
田舎暮らしと祭とお酒は切っても切れない関係がある。
それでも過疎化高齢化の波には勝てず、だんだん縮小されたり、簡素化されたりしてきているのが現状だ。
馬頭観音の意味や内容については別稿に譲るとして、面白い慣わしというか風習というか、2つ程紹介しよう。
祭は午後1時30分から始まるのであるが、その前に地区の班長(隣組長と同義)と、元方(もとかた)と呼ばれる人3世帯が午前8時に公民館に集合する。
この祭は隣の地区と合同で行われることになっているので、実際は8世帯ということになる。
元方とは、担当(あるいは担当地区)といった意味であろうか。
祭のお世話を回り番でするという事だが、具体的には何をするのかというと、主に祭の最大イベントでもある抽選会の籤(くじ)を作るのである。
参加世帯は両地区合わせて30足らずなのだが、世帯数が減少してきているからか、籤は3回も引く事が出来るというふうになっており、従って100本足らずの籤を準備するのである。
しかもこの籤は懐かしいと言えば懐かしい紙縒り(こより)で作る。
中には流石といえるほど芸術的な腕を持っている人もいるが、大半は年に1回しか作らないためか、中に書かれている当たり番号の文字共々何ともヨレヨレで幼稚園生並のみっともなさだ。
出来はともかくあっという間に籤作りは終了し、あとはご苦労様と一杯飲むのである。
やがてお昼になるので、元方の奥さん方は「お役目ご苦労様。」と、昼食を準備しなければならない。
これだけのことに8世帯が総出で朝早くから取り組むのが田舎の祭の真骨頂だ。
ついでにいうと、籤の賞品は各世帯が3品ずつ持ち寄るのであるが、ティッシュペーパー、バケツ、ほうき、洗剤、たらい、ハンガー、不要な贈答品等で、ありがた迷惑以上にありがたい品物ばかりだ。
又、神事の後には直会(なおらい)というものがある。
直会とは、神事の最後に、神事に参加したもの一同でお神酒(みき)を戴き神饌(しんせん)を食する行事(共飲共食儀礼)であり、本来は神事を構成する行事の一つである。
が現実には、神事が終わった後の宴会(打ち上げ)というか、「じゃ、本題の飲み会に入ろうか、本格的に飲みなおそうぜ。」という意味だとファーマータナカは思っていた。
明らかに手段の目的化が見られる。
民俗学者柳田國男によって唱えられた、日本人の生活リズムを表現した「ハレとケ」という言葉があるが、山村における厳しい日常(=ケ)の中で、祭(=ハレ)の日の形として、楽しみ、コミュニケーション、そして労(ねぎら)いの場として、多分たいした疑問もなく、延々と受け継がれてきたのである。
一方では祭への参加を強要されたとして、「宗教や思想信条の自由」の侵害として裁判になった例もあり、過疎化の反面、田舎への移住者も増えてきており、微妙な問題を孕んだまま、今後はどうなっていくのだろうかと自問自答しているつもりが、気がついたらファーマータナカは誰よりも「手段を目的化」していたのであった。