昨日は地区のお祭、馬頭観世音大祭典であった。
馬頭観音様が奉ってある山林の路傍の原っぱで、倒れそうになる位の炎天下での、恒例の籤引きと酒宴である。
それでも、2つの地区の住民が一同に会し、加齢や過疎を感じつつも談笑する事はそれはそれで大いに意味のあることではある。
ただ、脈々と行われ続けてきているせいか、ファーマータナカら新参者に祭りの謂(いわ)れが語られることはない。
馬頭観音とは仏教における信仰対象である菩薩の一尊で、観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒(ふんぬ)の姿をとる。
この忿怒の相は人々の仏性を開発し悪を討つ力を表し、八大明王(みょうおう)の一つともされ、馬頭明王とも呼ばれる。
頭上に馬頭をいただいていることから、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上)の一つの畜生界を済度(さいど)するといわれ、家畜や荷物を運ぶ馬の守り神として路傍の石仏にも多く見られる。
この形相で様々な苦悩や災難などの諸悪を粉砕してくれるというわけだ。
ただ当地の像は忿怒の相は見られず、又普通は三つの顔(三面)で、腕は二つ又は八つ(二臂・八臂)と言われるが、一つの顔で、二臂のようだ。
現代では、 競馬ファンでレース前に馬頭観音にお祈りしていったり、競馬場の近くに祀られていて、レース中に亡くなった馬などの供養に用いられている場合もあるらしい。
昨日も記したが、元方を中心に、宴は場所をかえ、近くの公民館で延々続いたらしい。
(ファーマータナカは例によって、会長(=妻)により、一次会会場より、早々と強制連行された)