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2020年07月01日
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テーマ:老荘思想(128)
カテゴリ:道家思想

 
Huangshan, China
Photo by Demis de Haan
images.jpeg
 
 
 

 

道家思想篇 93 老子 玄符第五十五


  「德〔とく〕を含むことの厚きものは、赤子に比す。
  毒蟲〔どくちゅう〕も螫〔さ〕さず、
  猛獸〔もうじゅう〕も據〔よ〕らず、
  玃鳥〔かくちょう〕も搏〔う〕たず。
  骨〔ほね〕弱〔よわ〕く筋〔すじ〕柔〔やわら〕かにして
  而〔しか〕も握ること固〔かた〕し。
  未〔いま〕だ牝牡〔ひんぼ〕の合〔ごう〕を知らずして、
  而〔しか〕も䘒〔しゅん〕の作〔おこ〕るは、精〔せい〕の至れば也。
  終日〔しゅうじつ〕號〔ごう〕して啞〔あ〕せざるは、和〔わ〕の至れば也。
  和を知れば曰〔すなわ〕ち常〔じょう〕、
  常〔じょう〕を知れば曰〔すなわ〕ち明〔めい〕、
  生〔せい〕益〔ま〕せば曰〔すなわ〕ち祥〔しょう〕、
  心〔こころ〕氣〔き〕を使えば曰〔すなわ〕ち強〔きょう〕。
  物〔もの〕壯〔さか〕んなれば則〔ち〕老〔お〕ゆ、
  之〔これ〕を不道〔ふどう〕と謂う、
  不道〔ふどう〕なれば早く已〔や〕む。」
 
 
   含德之厚、比於赤子。
   毒蟲不螫、
   猛獸不據、
   玃鳥不搏。
   骨弱筋柔而握固。
   未知牝牡之合而䘒作、精之至也。
   終日號而不啞,和之至也。
   知和曰常、
   知常曰明、
   益生曰祥、
   心使氣曰強。
   物壯則老。
   謂之不道。
   不道早已。
   
  
  
   (The mysterious charm)
   He who has in himself abundantly the attributes (of the Dao) is like an infant.
  Poisonous insects will not sting him; fierce beasts will not seize him; birds of prey
  will not strike him.
  (The infant's) bones are weak and its sinews soft, but yet its grasp is firm. It knows
  not yet the union of male and female, and yet its virile member may be excited;
  - showing the perfection of its physical essence.
  All day long it will cry without its throat becoming hoarse; - showing the harmony
  (in its constitution).

  To him by whom this harmony is known,
  (The secret of) the unchanging (Dao) is shown,
  And in the knowledge wisdom finds its throne.
  All life-increasing arts to evil turn;
  Where the mind makes the vital breath to burn,
  (False) is the strength, (and o'er it we should mourn.)

  When things have become strong, they (then) become old, which may be said to be
  contrary to the Dao. Whatever is contrary to the Dao soon ends.
     
   ( Daoism -> Dao De Jing
 
 
 
 
 「徳を厚く身に蓄えている人は赤子になぞらえることが出来る。
 無心の赤子は毒虫もこれを刺さないし、猛獣もこれに爪をかけないし、
 猛禽もこれを翼で撃とうとはしない。
 (このように有徳の人には危害が身に及ばない。)
 赤子は骨も弱く筋肉も柔らかであるが、その握る手は実に固くしっかりしている。
 (有徳の人は柔弱でありながら剛強を能く制し、真の意味では実に強い。)
 赤子は男女交合の事をまだ知らないが、その陰部は元気良く立つ。
 それは精気が至って充実しているからである。
 一日号泣しても声が出なくなるという事がない。
 それは和気が至って充実しているからである。
 (有徳の人も精気・和気が内に充実しているので、いつも元気で疲れを知らない。)
 この和を知る者は即ち恒常不変であり、恒常不変の道を知る者が即ち明らかなる者である。
 その反対に、いたずらに生を益さんとすれば(第五十章参照)即ち凶兆が現れ、
 心が気の主となれば剛強となって挫折を招くことになる。
 万物について言えることだが、余り壮〔さか〕んなものはすぐに老衰する。
 こういうものを不道という。
 不道であれば早く已〔や〕み滅んで行く。」
 
 (新釈漢文体系 7 『老子 荘子 上』P.96 明治書院発行)
 
 
 
 『「徳」を豊かにもつ人は、
  無垢(むく)な子供と同じように見られる。
  彼は、昆虫の針からも*、
  野獣(やじゅう)の爪からも
  猛禽(もうきん)の攻撃(こうげき)からもまぬがれる。
  骨や筋肉は強いとはいえないが、
  手のにぎりはいつもしっかりしている。
  男女の交合についてはまだ何も知らないのに、可能性**はあきらかであり、
  生命の本質は完全なものになっている。
  一日中泣き叫んでも声がかれることはない。
  彼の内的(ないてき)調和(ちょうわ)が最高だからである。
  この内的調和を知ることが真実とともにあるということだ。
  しかし、生命に何かをつけ加えようとすると邪悪(じゃあく)になる***。
  可能性をおしつけると、心は不自然になる。
  ものが不自然になると、それらは衰(おとろ)えていく。
  これは「道」から逸(そ)れることである。
  そうすると、すぐに生を終えてしまう。
 
 
  * 王弼〔おうひつ〕のテキストでは「すずめ蜂、さそり、へび」の文句が使われている。
  この翻訳では河上公のテキストによった。
  
  ** 䘒〔シュン/サイ〕(男性)ということばは河上公のテキストで使われている。
  王弼のテキストでは全(全体性)ということばが使われている。
  注釈者の中では全と䘒の両方とも男性を示すものとして関係づけるものもある。
  このテキストでは全の可能性と訳す。
  
  *** 祥ということばは、ふつう良き前兆を意味する。
  しかし、多くの注釈者は祥は悪い前兆を意味するとしている。
  「玉篇」では悪い精神と定義されている。
 
  
  注釈
 
  初期の儒学者の一人荀子(じゅんし)は自然の哲学について述べている。
  
  天の偉大さを賞讃(しょうさん)したり、それについて考えたりするのは、
  それをものとして扱い、支配するから良くない。
  天を祭ったり、それを賞讃したりすることも、
  天の運命を支配し、使用するから良くない。
  
  この理論では、自然は人間を従わせるようにつくられたものであることを示している。
 自然はそれ自身の道をもっており、それは人間の道とは異なる。
 人間は自分の利益になるために自然を支配する。
 ところが、「道」を有する人によると自然は深い基礎的な調和になっていく。
 この章で老子(ろうし)がいうように、
 無垢(むく)な子供は一日中泣き叫んでも声が枯れることはない。
 彼は昆虫の針や、野獣の爪、猛禽の攻撃からもまぬがれる。
 無垢な子どもの生まれつきの自然はそれ自身で調和しているからである。
 さらに、それはまわりのものと調和している。
 この深い基礎的な調和は真実とつなかっている。
 「真実とともにあれば啓発される」。
 老子はこの考えを第十六章でも述べている。
 真実とともにあれば、あらゆるものを包み、あらゆるものに広がり、
 超越し、「道」の徳に至る。
 この章では、自然の深い基礎的な調和が「道」の徳であると述べている。』
 
 (張鍾元 著 上野浩道 訳『老子の思想』P.248~251 講談社学術文庫)
 
 (つづく)





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Last updated  2020年07月03日 22時39分04秒



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