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カテゴリ:露野
その時、館の中から微かな絹づれの音がして、一人の女が現れた。山吹の桂に濃色の袴、黒髪が今通りすぎた柱の間で揺れているほどに長かった。女は古びた短冊を手に持ち、几帳の蔭の女に話しかけた。
「姉様、つれづれに御歌でもお詠みになってはいかが」 几帳の蔭の女は、ゆっくりと進み出て、黒髪で半ば隠れた顔を現わした。 「わたくし達二人だけで詠み交わすのも、もう飽きてしまったわ」 二人とも、年の頃は十六、七ほどであろうか。艶やかな白い額にふっくらとした頬、やや寂しげな面立ちがよく似ている。姉妹なのだろう。妹の方は山吹のよく似合う利発な眼差しで、姉は伏目がちで奥ゆかしい身のこなしが対照的だった。 「少将の君から、文は?」 「さあ……」 姉姫は聞き取れぬほど微かな声で呟き、うつむいた頬をさらに傾けた。白い額から髪が滑り落ち、僅かに染まった頬は見えなくなった。 「この前の御文はいつ?」 「……三月前」 妹姫は当惑したように視線をさまよわせ、手に持った短冊をもてあそびながら言った。 「こちらから御文を差し上げては」 「先月、思いきって差し上げたのですよ」 「そんな……」 姉姫は黒髪の陰から、胸を締め付けられるような寂しげな笑顔で言った。 「お忘れなのですよ、もう……」 「都にいた頃は、あんなに毎日のようにお通いになっていたのに」 「それも今は昔……」 姉姫は几帳の影から滑りでて、言った。 「もうあの頃の様にこの家に御歌が届くこともないでしょう」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月08日 13時35分11秒
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