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カテゴリ:きりぎりす
堀河は傍らの瓶を持ち上げると、曲がった腰をゆっくりと伸ばしながら言った。
「この花は、仏様の御前に差し上げよう。きっと、待賢門院様も仏様と一緒にご覧になられると思うから」 「私がお持ちしましょう」 おぼつかない足取りの堀河を心配して、西行は瓶を堀河から受け取ると、先に立って山荘の奥へ入って行った。そして、堀河の持仏がおさめてある小さな厨子の前に桜の花を飾ると、懐から数珠を取り出して座り、低く響きの良い声で経文を誦し始める。 堀河も西行の後ろに腰を下ろし、数珠を持った手を合わせながら、出家した待賢門院と共に過ごした頃のことを思い出していた。 この世のしがらみを捨て、ただ念誦だけに専心して過ごす日々は、あの華やかな御所での生活を思えばあまりにも寂しいものではあったけれど、その静かな明け暮れは確かに心を清め安らかにしてくれたような気がする。 待賢門院も、同じように澄んだ心で、あの日々を過ごされていたのだろうか。淡い鈍色の頭巾の陰に半ば隠されたその白い面輪に、一体どんな表情が浮かんでいたのか、常に後ろに控えていた堀河にはわからなかった。少しでも、心に平安を取り戻しておられたのなら良いのだが。 堀河がそう思うのは、そうした静かな仏道三昧の生活が、あまり長くは続かなかったからである。 待賢門院は、出家の三年後である久安元年に、火災で失われた三条西殿にかわって女院御所としておられた三条高倉第において崩御された。 その臨終に際して、夫君の鳥羽院が待賢門院の病床に臨まれ、自ら経を唱え磬(注)を打ち鳴らして哭泣されたのは、待賢門院にとって死出の旅路の餞(はなむけ)となっただろうか。 鳥羽院が涙で顔をぐしゃぐしゃにして、こときれた待賢門院の亡骸に縋(すが)って泣き伏されたのを、堀河は同じく涙に暮れながら側近くで見守っていた。 辺りも憚(はば)らずに嗚咽の声を上げる鳥羽院の姿には、世間体や見せかけなど一切感じられなかった。 もしかしたら、鳥羽院は心の奥底では待賢門院のことを愛していたのだろうか。 堀河には、厚い御簾の向こうに幾重にも隔てられた彼らの心は計り知れない。 だが、もし待賢門院が白河院のいわく付きの養女ではなく、ただの一貴族の娘として鳥羽院の元に入内していたなら、きっと二人の関係はもっと違うものになっていたのかもしれないと、その時堀河は思ったのだった。 注「磬」・・・けい。仏具の一種。板状のものがぶら下がっており、そこを打って音を出す。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年07月27日 15時21分27秒
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