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日本で一番フラフラしている酒飲み子育てSOHOの日記(旧:えふのへや<別館>)

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October 12, 2007
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テーマ:たわごと(26737)
カテゴリ:思うこと
わくわくセンターによく来るひげおじさんと会話。何でもご子息が知的障害者向けのお仕事に就くとか。障害者の就労のサポートらしい。その中で、身体については一定のサポートの手法も揃ってきていて、結構就労のハードルが低くなってきたけれど、知的はまだまだ高いという話をしていた。

これで真っ先に思い出したのは、旭川のKONさんの電卓の話。
簡単な計算を出来ない子は、出来ないと自覚して、電卓を持って歩けばいいべや、という指導をしているそうな。まさにその通りで、要はそういうちょっとした、下駄を履かせるという行為で十分社会に出てこれるということに他ならない。

僕自身はそういう発想であるべきだと思っていて、障害者って言葉はとっても嫌いだ。障害者を障がい者って書き換えるのも無意味だと思っている。英語で障害者は「ハンディキャップド(the handicapped)」だ。要は、社会に参画して活躍する上でハンディキャップを持っているだけで、そのハンディキャップを埋めれさえすれば、等しく社会に参画できるだけのものであるはずだからだ。
でも日本語で障害というのは、全く意味が違う。例えば障害対応はトラブル(問題ある事件)シューティングだ。障害管理はフォールト(誤り)マネジメントだ。このように、日本語における障害は、取り除くべきものに対して割り当てられる。おかしな話だ。

他方で、ゴルファーなんかはのんきに、ハンデハンデといい散らしている。君らも正しく翻訳されるべきだ。ハンデ→障害→トラブル(orフォールト)ってね。それが不快だというなら、ハンディキャップを持って生活している人だって、同じ感覚で不快なはずだ。
それが人の持つ想像力だと思う。

でも、実際、健常者と言われる人だって、そういう下駄を履いて生きてきている。まさに、電卓なんてそうだろう。いまどき、電卓なしで生活しているか。それこそマクルーハンのいう「拡張した知覚」ではないが、テレビやメディアを通じて様々な認識の幅を超えているだろうし、めがね暮らしだってそう。
僕なんか会議中にwikiを検索して、当てにならない記憶を補うことは当たり前だ。まぁ、先のKONさんの教え子以上に、機器に依存して生活をしている。
変な話、現代社会の生活で、裸一貫で生活できることはほとんど無いはずだ。いわば現代社会の生活ってのは、人間は生まれた瞬間にハンデもちってわけだ。このハンデを適切に埋めるのが、機器だったり教育だったりする。

そう思えば、日本社会においてはハンデは所詮は度合いの問題。度合いをどうこうするってことに過ぎないのに、意識において障害者と健常者なんて線を引いてはいけない。
ただ、社会全体でこのハンデを適切に埋めあって、いい生活を共に送るかだけ考えればいい。

とか思ったわけで。取り敢えず記録だけ。





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Last updated  October 12, 2007 11:10:20 AM
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