テーマ:たわごと(26739)
カテゴリ:思うこと
先般、イベントをやっている横で、住民ディレクターとか市民メディアとか言われている人たちの取材を横目で眺める機会があった。
でも、正直、「なんじゃこいつら」という感じ。とにかく態度がでかい。全く持って、マスコミもかくやという態度のでかさ。「なにを君たちは自分の活動を勘違いしているんだ」と指摘したかったのは山々なのだが、目の前の作業に追われてそんな輩の相手をしている暇はなかった。 なんというか、最近こういう話が多すぎる。 もともと、パブリックアクセスとか市民メディアってのは、情報と手法を一手に握ったマスメディアという特権階級に対するアンチテーゼで、多くの市民がその手法を獲得して、もてるものと持たざるものをフラットにすることに価値がある。 実際、今の市民社会において、その格差破壊をおこなうことこそに価値がある。だから、別のコラムではまだ特権階級化もしていない科学技術コミュニケーターという活動にも私は一言その危惧を書かせていただいた。これも、科学技術を一定の特権階級が握っていることに対し、より市民がその知識と手法を獲得して同じ土俵で判断しあえる社会が必要だからに他ならない。そのプロセスで変な特権階級を生み出してはならないと考えるからだ。 メディアに関してもそれは同じである。 この地域の住民ディレクター諸氏には、このような愚昧な輩ばかりではないということはよく知っているし、全国を見渡せば、むしろ尊敬に値する方のほうが多い。にもかかわらず、このような事態を目の当たりにするとこうした活動の推進を側面から応援しているものとしては、残念な限りだ。 大事なのは、カメラを握っている「市民ディレクター」という特権階級を作ることではないし、そういう意識を持たせることではない。そういう意識が欲しくてそういう活動に関わるものは切って捨てるぐらいの勇気は必要だ。 そういう観点で行けば、市民メディアの上策は「テープを持ってきてもらう」ことであり、中策は「撮り方を教える」であり、下策は「撮ってあげること」である。 大事なのは全市民が自分のことは自分でするということ。実際にしていなくて、誰かに委託していたとしても、潜在的に出来る能力を有し、いざというときには委託者に取って代われることである。特権階級者に助けてもらって頭を下げる構造ではない。 私が常々応援しているCSWの好きなところはそこにある。同社の出資者でもある永田氏が夢の扉という番組でMy Goalを「2015年までにCAMUIロケットを実用化し宇宙開発をみんなに手渡したい」と設定している。宇宙開発なんて力いっぱい元々特権階級者の集まりなわけで。にもかかわらず、内側からその殻をぶち壊そうという目標は何が何でも応援したい。 たかがカメラ一つ握って、過去の遺物的特権階級になりつつあるマスコミ気取りするような輩は恥を知るべきだろう。 せっかく、受け渡された、特権化されなくなったものを握り締め、昔の特権階級のように振舞うさまはこっけい極まりない。が、同時に、せっかく特権化しない状態に持っていた人々の苦労を無にするものでもある。 その様を見てそのもの自体を社会は否定していくのだろうから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 16, 2007 12:54:15 PM
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