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カテゴリ:子育て
今日は末っ子の卒業式だった。 式が終わり、教室で担任の先生へお礼を込めて「手紙」を歌うシーンがあった。 黒板には、先生の手書きで「ポンコツな私を助けてくれてありがとう」といったニュアンスのメッセージがあった。 先生の発する言葉から、「力不足でごめんなさい」という 気持ちも滲み出ていた。 生徒と共に悩み、苦しみ、喜び、楽しんでいる純粋な姿は とても素敵に映るのだが、先生本人は頼りないという実感だったのかもしれない。 「手紙」の歌詞が、先生が歩んできたこの1年のように思えて、懸命にやり遂げる姿の美しさに感動していた。 生徒達の心は、どのクラスよりも自由だった。 泣き虫な先生を笑顔にしようと、生徒からのメッセージには笑いが散りばめられ、そこにいる誰もが愛に包まれ暖かさを体感している姿を見て、心がポカポカした。 「手紙」のように濃縮された心の痛みや不安を 今の私はあまり感じない。 負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうな時は、 私の過去にも確かに存在した。 そんな時を超えて、全ては愛だと体感したあの時から 心が揺れるとすぐに、愛と一体になる。 全てと一体になるけれど、現実的にはひとりだ。 私の場合は、誰もいないひとりの時に、 圧倒的な癒しが行われる。(ワンネスの意識になる) けれど、先生の姿を見て羨ましいと思った。 濃縮された思いが原因で、そこにある愛を体感せず 積立て続けた結果、ついに今日まとめて愛を体感したのだ。 沢山のひとに囲まれて、素敵だなぁと思った。 先生を通して、私も愛に包まれ、ひとに包まれる体感を間接的に味わい涙したのだが、その時私がいた場所は 人が私ともう1人しかいないモニターが置かれた教室だった笑 ひとが沢山いる場所では、情報量が多すぎて 自分自身に集中出来ないのかもしれない。 末っ子が毎日楽しく通ったクラス。 本人に自覚はないが、世界を純粋さという物差して眺めている。 先生の純粋なエネルギーおかげで この子が安心して通ったのだなぁと感じた。 本当にありがたい。 関わって下さった全ての方へ感謝。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.08 22:51:03
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