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カテゴリ:Memories
副理事長に抜擢されたことは,私にとっての一大転機を意味していました。
それまでは,会社で言うと「被雇用者」の立場でした。 それが「経営サイド」に鞍替えしたことになります。 前者の方が気楽でよかったのに…。 加えて,師匠に着いて行くだけの,これまた気楽な状況から,のみならずトップを支える立場を余儀なくされたのです。 師匠は師匠で,「オレはトップに立つようなタイプじゃないよ。どっちかというと『参謀』の方が向いている」 とこぼしておられました。 確かに,師匠は,トップダウン型のリーダーシップを発揮し,グイグイと人を引っ張っていくタイプではありません。 「覇道」型ではないのです。 けれども,皆に愛され,尊敬され,着いて行きたくなるような「人徳」をお持ちでした。 「王道」型と呼ぶに相応しいリーダーだと確信しています。 「ラオウ」ではなく「ケンシロウ」か「トキ」なんですね(分からない人にはすみません)。 その点を踏まえて,自分は「副理事長」としてどうあるべきなのか? 歴史上の人物を規範にとり,辿り着いた結論は,「毛利隆元」のように生きることでした。 隆元は,戦国の智将・毛利元就の嫡男です。 「二代目の悲哀」という言葉があるように,隆元に限らず,「二代目」は偉大なる先代の陰に隠れ,影が薄く目立たない存在です。 その上,常に父と比較されて悩んだことも,想像に難くありません。 そんな中,隆元は「縁の下の力持ち」として,存命中は元就を影で支え続けました。 余談になりますが,史実では隆元が若くしてこの世を去り,元就は亡くなるまで毛利の大黒柱でした。 厳島合戦のとき,毛利家の将来を憂慮した元就は,隆元に残るように命じましたが,「自分が生き残ったところで,父上がいなければ毛利の家は成り立たない」と拒否し,軍船の先頭に立ったというエピソードが残されています。 元就の為なら自分はどうなってもいいという意味の願文も残されており,事実,その通り先立ってしまいました。 しかし,「会の毛利家」は,先に大黒柱を失ってしまいました。 うまくいかないものです。 普段は存在感が希薄なのに,いざ,いなくなってみると「やっぱりいてくれたらナァ」と思われる,いわば「水」のような存在が,私にとって理想なんです。 が,今振り返ってみると,「隆元」を務めるには力不足でしたね。 主柱を支える「支柱」としてはいささか細かったことと,この主柱,どっかりと腰を据えておられるときはいいのですが,ときどき「暴れる」んです(苦笑)。 このエピソードについては,いずれ(当たり障りのない範囲で)お話しますが…。 しばらくして,発起人は一身上の都合で塾を閉鎖することになり,会からも去っていきました。 近年の会のイメージ「大御所はウロコ先生,及ばずながらKAZU」という体制は,この頃確立されたものでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月21日 22時47分35秒
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