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カテゴリ:中国
上海の白系ロシア人らの募金によって1938年に完成したロシア教会。 上海ギリシャ正教区の主教座堂となる。 1965年主教の死去により宗教活動を停止。 上海市優秀歴史建築。
上海にロシア人が来るのは、1917年のロシア革命のあとで、1922年、赤軍(革命派)の優勢となる状況で戦い、白系リーダースタルクが、逃げるため中古の客船や郵便船を買い取り、30隻の艦隊で海へ出た。 結局、困難のうえ上海に到着したのは14隻1800名のロシア人で、上陸が許されたのは1200名あまりだった。
上海でロシア人を待ち受けていたのは、厳しい生活だった。中国語、英語もできないロシア人は肉体労働や、売春を行い、中には教養でフランス語を身に着けていたロシア貴族の中には、フランス租界で暮らすものもいた。
やがて、アベニュー・ジョッフル(現淮海中路、霞飛路)周辺には、ロシア本場のレストラン、カフェ、ベーカリーなどロシア式の商店が立ち並び、本物の味が提供された。 羅宋湯(ボルシチ)や手作りマヨネーズのポテトサラダなど、今の上海家庭料理に受け継がれているメニューもある。
フランス租界のロシア人は、上海人に西洋文化を伝えた。 そのため文革時代でさえも、上海の人民は、租界時代のロシア人を通じて覚えた『西洋』文化を忘れることなく覚えていた。 庭のバラ、ピアノの音色、コーヒーの香りなどフランス租界のロシア人は見えない文化遺産を上海人の心の中に残した。
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Last updated
2013.05.03 20:16:38
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