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2012.11.13
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カテゴリ:カテゴリ未分類
石川町にあったウラン選鉱場!

戦時中、石川町で
「原子爆弾開発の為のウラン採掘がされていた!」
という昨日の話の続きです。

私が聞いた話によると当時、石川町には原発開発
の為の研究者達も沢山いたそうです。
戦後、国会議員になった○○議員の夫も研究者の
一人だったとの話もあります。

旧制私立石川中学校(現在の学法石川高校)の
創立者・森嘉種氏が石川で採掘されるペグマタイト
(巨晶花崗岩)石川石にウランが含まれていると
いう事が森博士の研究でわかっていました。

しかし、採掘がはじまったがウランの含有量が
少なく採算割れで中止になったそうです。
石川町の他に岡山、鳥取県境の人形峠でウラン鉱山が
発見され、本格的なウラン採掘がされたそうですが、
これら全てあわせても原発一基を1年稼働させる
ほどにもならない量であったそうです・・・。

このような「原爆開発の拠点」としての歴史があった
事を風化させず伝えて行かなくてはなりません。
戦後、原子力の平和利用として原発が全国に設置
されました。

しかし、平和利用と軍事利用に差がある訳ではなく
一旦事故が起きれば、甚大な被害が出るのは明らか
だったのです。「原発安全神話」がフクシマの
原発事故につながって行ったのです。

『私達はこうして「原発大国」を選んだ』の著者
ジャーナリストの武田 徹氏が石川町のウラン選鉱場
を取材して投稿しています。

以下、掲載して紹介させて頂きます。

フクシマ、秘められた原爆開発 戦争末期に
ウラン選鉱場


 東京電力福島第一原発の事故は、核の世界史にフクシマの名を刻み付けた。その原発の
約60キロ南西に、第2次世界大戦中に原子爆弾の開発拠点にされた町、福島県石川町が
ある。著書『「核」論』で原子力の歴史を考察したジャーナリスト武田徹さん(52)と
ともに、「日本と核」の歴史の深部を訪ねた。

 石川町立歴史民俗資料館。展示室のパネルに「原子爆弾と石川町の関わり」と書かれて
いた。建物の脇に回ると、長さ40メートルはありそうな石垣があった。

 「鉱石からウランを取り出す選鉱場跡です。この一帯がウラン抽出の工場でした」。
町史編纂(へんさん)専門委員の橋本悦雄さん(62)が説明した。約20年前から、
町と原爆の歴史を調べている。

 「大きいですね」。武田さんは4メートルほどの石垣を見上げた。

 戦後に防衛庁防衛研修所戦史室がまとめた『戦史叢書(そうしょ)』の中には、戦争中に
日本国内で極秘に進められた原爆開発の歴史がつづられている。

 製造に必要なウランを入手するため陸軍が目をつけたのが、鉱物産地である石川町だった。「1945年4月以降、動員された地元学生120人が採掘した。しかし十分に集まら
なかったようです」と橋本さん。

 「ウランは残っていないのですか」と武田さんが尋ねる。橋本さんは「敗戦直後にGHQ(連合国軍総司令部)が持っていったとのことです」。

 日本の原爆開発は結局、途上に終わる。敵国・米国は開発に成功、広島と長崎に投下した。

 もし日本が成功していたら原爆を使用しただろうか。「迷うことなく使ったでしょう」と
橋本さん。「実際には目的地へ運ぶ方法はなかったでしょうが」

 敗戦から戦後へ。石川町では石英などの鉱物生産が続いたが、輸入品に押され、70年代
に鉱山は役目を終えた。一方、53年にはアイゼンハワー米大統領が核の「平和利用」を
提唱。日本政府も同調し、71年、福島第一原発の営業運転が始まる。

 「第一原発が誘致されたころ、石川町の歴史は思い出されたのでしょうか」と武田さんが
聞く。橋本さんは「いえ」と首を振った。「秘史でしたから」

 町と原爆のつながりは戦後、保阪正康『昭和陸軍の研究』など一部で紹介されたものの、
広く知られる機会は少なかった。「存在しなかったものとして目をそらしてきた戦争史の
一例だろう」と武田さんは言った。

  • 01.jpg

  • 選鉱場の跡地で石垣に触れる武田徹さん=福島県石川町
    記事「フクシマ、秘められた原爆開発 戦争末期にウラン選鉱場」より

  • 02.jpg

  • 福島県石川町にあったウランなどの採石場の写真。原子力研究者のほか、
    採掘のために動員されたわらじ履きの生徒たちの姿も見える=
    石川町立歴史民俗資料館蔵記事
    「フクシマ、秘められた原爆開発 戦争末期にウラン選鉱場」より

  • 03.jpg

以下、石川町のウラン選鉱場に関する記事です。

≪参照≫

◆ フクシマ、秘められた原爆開発 戦争末期にウラン選鉱場
◆ 福島と原子力 浅からぬ因縁 東京新聞「こちら特報部」 (日々坦々)
◆ 石川の石と原爆のかかわり
かみつけ岩坊の雑記帖さん↓
◆ 日本の原爆開発と福島








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Last updated  2012.11.13 08:48:23
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