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カテゴリ:2007年06月読書
[1] 読書日記
<本を読み、話をきいて、大事なところだけを書き留めるノート。 これは選択が含まれる。 選択は価値基準がはっきりしていないと行われない。 そういう基準をもって選択のできる機械はないから、 こういうノートはきわめて人間的な作物となる> 外山滋比古 「知的創造のヒント」(講談社現代新書) ![]() を読了。 用いられているアナロジーが強く目をひく。 これまた本書からの引用ではあるが、<すぐれた比喩は思考を節約する>を、まさに 身をもって体現している本。 文章によっては、美しい詩のようでさえある。 冒頭に引用した「ノート」よろしく、とにかく読んでいて印象に残ったアナロジーや、 箴言を以下に書き留めておく。 ★EX. 学校とは。 <学校とは、 放って置けば忘れることをいかにして忘れないようにするか、 の労力を競い合う場所である> <借りてきたアイディアはさしずめ、 花の咲いている枝を切って来るようなものである。 本当の移動でも何でもない。 切り花は根がないから、たちまち、枯れてしまう。 そこで根が生えたり、次の代の花がついたりしないのはもちろんである。 学校で教えるのは、 つまり切り花の売買であって、 花はいかにして咲かせられるかという思想の園芸学ではない。 知識人というのは 切り花の中にうまって花の香にむせぶ花屋にいくらか似たところがある> <自分では飛べないものを引っ張って飛び上らせる。 落ちそうになったらまた引っ張り上げる。 こうして落ちてくるひまのないグライダーは、 永久に飛び続けられるような錯覚をもつかもしれない。 しかし、それはあくまで錯覚である。 学校の成績の優秀な学生が、 卒業論文を書く段になって思いがけない混乱に陥ることがすくなくない。 小学校以来、試験といえば、教わったことをそのまま紙に書きつける。 それがうまくいくと満点をもらってきた。 引っ張られるままにおとなしく飛べれば“優秀”なのである。 それはグライダーとしての性能である。 そういうグライダーに向かって、さあ、自由に飛んでみよ、 いつものように、引っ張ってはやらない、自力の力で飛ぶんだ、 といったらどうであろう。 “優秀”なグライダーほど途方に暮れる。 下手に自前のエンジンなどつけていると、グライダーの効率は悪くなる。 グライダーはグライダーに徹しなくてはならない。 そう思っているときに急に自力飛翔を求められる。 混乱するのは当たり前である。 独創的な論文など何のことか見当もつかない。 学校はグライダー訓練所である。 そこで飛ぶことができるようになる、と見るのはあくまで外見の上だけにすぎない。 何年滑空していてもエンジンのついていないのははっきりしている。 自力で飛び立つことはできない> <現在われわれが継承している文化、学問、知識は、 かって醸造された酒の集積である。 時代がくだるにつれて、学問が進み、知識の量が多くなると、 新たな酒を造ることよりも過去の酒について知ることの方が 意義があるように思われてくる。 造り酒屋ではなく、酒の問屋、小売店、バーテン向きの勉強が、 学校でも重要な地位を占めるようになる。 そこで酒を造れといわれたら、カクテルを作るほかはない。 何年バーテンの修行に年季を入れても 一滴の地酒を造ることもできないからである> <ある空気をつくっておくと、 いかなる場合でもその枠から外れた行動はしにくくなる。 学校などでも、実際の教育もさることながら、 校風といったものによる薫陶がなかなか大きな意味をもっている。 何年間かそういう雰囲気にひたっていたもの同士には、 ある共通の特性が認められて学閥といったものが生まれることになる。 われわれは空気からは自由になることは難しい。 恐るべきはそういった環境である> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月29日 03時26分27秒
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