気付きとタイミング
昨日は中1のある女の子に大切な話をした。「マワリニアワセルヒツヨウハナイ」たったこれだけと思われるかもしれないが、最近の彼女にとって1番大事で1番今の弱点だと思うことを伝えた。少し前から気付いていたがあえて昨日そのことを1人呼び出して伝えた。僕は言葉を伝えるタイミングを1番に気にしている。同じ言葉でもその子にもっとも伝わりやすいタイミングで伝えないと、効果は半減もっと悪い場合は単なる「お説教」で終わってしまう。大切な話をするときはなるべくゆっくりと話すか、真逆の感情をめいいっぱい込めて話すようにしている。それもその子に少しでも伝わりやすいように注意を払いながら。タイミングも含めて「気付き」はきわめて重要だ。塾の先生だけに限ったことではないが「先生」の仕事で重要な部分のひとつには「気付き」だと思っている。うまく伸びているときは少し見守るように遠くから、少し躓いている時にはなるべくこまめな指示を出す。勉強の解法を教えることも大切かもしれないが、その子のそのときの状態をどれだけ的確に捉えることができるかが鍵だと注意を払わなければならない。そして、その気付きはを当人に伝えるために必要なものがタイミングだ。昨日の僕の気付きは明日の彼女をどうかえるのだろうか?塾から帰ったあとに僕の言葉に対して、その子がメールを送ってくれた。内容は指摘をきちんと受け入れた上で、自分自身を変えようとする前向きなものだった。明日はきっと何かが変わるだろう。そんなことを感じさせるメールの内容だった。子どもが変わるときは驚くほど突然で、驚くほど自然な流れの中の一部で起こることを塾をして毎度思い知らされる。そしてその子の化学変化を起させる媒体に僕自身がなれればといつも思っている。