謙虚さと感謝
一昨日に引き続き昨日も昨年の卒業生が来てくれてT君、Hちゃん、Y君、H君あまり話す時間がなかったけどわざわざ立ち寄ってくれてありがとう。1季節ずつに君たちに会えるのは先生にとっても楽しみです。さて、本題に入る。(この記事は特に大学受験生に向けての記事ですが特定の誰かを的にしたものではありません。)僕が生徒に怒る場合の多くは「ありがとう」を言えない子。これが1番多い。生徒にはもちろん最良の環境を提供したいと思うし、そのつもりでやっているが、時折思うことは必ずしも恵まれすぎは良くないということ。自塾の環境を恵まれすぎと表現するのは少し横柄かもしれないが、年々自習環境が整ってきていると思う。その証拠に久しぶりに遊びに来た卒塾生は「先生、僕らのときよりすごく快適になってますね(笑)。」とだいたいの子がそういう。卒業生にアンケートをしたりして教室に欲しいものや、配置などいろいろとできることをしてきた結果なので上記のように卒塾生が言ってくれるのはとてもうれしいことだ。ただ、快適になるに連れて何か大切な「謙虚さや感謝」がなくなっている気がする。これもして欲しい、あれもして欲しいと言う前に今の環境の中で工夫したり今の環境を大切にして欲しいと思う。さきほど、生徒からのあるお願いメールに対して今回は上記の気持ちを込めて返信した。なにもそうして欲しいと言うことに対して反対しているのではなく、ただもうちょっと考えて欲しかったからあえてきつい言い方で返事を返した。まあ、その生徒もこのブログをあとで見ることになるのだろうができればこのブログの私の真意を理解する前に何を言いたかったのかを理解してくれることを期待している。その子が僕のしていることに対しての感謝や思いやりは、小さな行動に知らぬ間に現れる。「必ず帰りに声をかけてくれる。」「必ずゴミ箱を机の上に出して帰ってくれる。」「加湿器の水を替えに行った時に後でありがとうを言ってくれる。」「単語リクエストプリントを作ったときに必ずありがとうを言ってくれる。」そんな小さな「ありがとう。」が嬉しくてまた僕は子どものために何かをしてあげたいと思う。僕も生徒にありがとうをいっぱい伝えたいし、生徒もきちんとありがとうの気持ちを僕だけじゃなく塾に行かせてくれている家族へ、受験勉強を支えてくれている友人へ、学校で遅くまで残って指導してくださる学校の先生へ、いろいろな人に感謝の気持ちだけはもって欲しいと思う。事実、過去の合格者を振り返ると最初はどうであれ(笑)途中から「ありがとう」が増えたと僕自身も感じたし、保護者の方からも「うちの子が最近、様子が変わりました。」との報告を受ける場合が多い。感謝したから受かるとか、そんな因果関係はわからないけれど僕は明秀館を通じてそういう気持ちを育んでいけるような集団になってくれればいいと思っている。当たり前になるっていうのは怖いことだと思う。きっと生徒を見ていてそう感じるのは僕自身ももっと感謝の気持ちをもたなければならないんだと自身も振り返らなくては。