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テーマ:安倍晋三氏の研究(7)
カテゴリ:安倍晋三&安倍昭恵
【安倍晋三の研究】安倍ちゃんの根底にある「憎悪」の正体
以前に安倍ちゃんの政治思想の根底には「憎悪」がある。という事を書いたのですが、 それを裏付ける古い写真を発見したので紹介します。 ブログ・営業せきやんの憂鬱で発見しました。 外国メディアのニュース等を見ていると、日本では知ら無かった事が分かるが、 ネットで見つける写真って作り物の場合もあるので、この写真の出所を探しました。 毎日新聞のサイトに似たような写真を見つけました。 毎日新聞→昭和のニュース 岸内閣総辞職 並べて比較します。 毎日新聞の画像 完全に同じ状況を撮ったものだとわかります。 結局、上の写真の出所はわかりませんが、(ウチの環境では画像検索できないのです∧∧;) 毎日新聞に載ってるので、デマでは無い事がわかりました。 1960年といえば、安倍ちゃんは6歳です。 この時代は60年代安保と呼ばれ、日米安全保障条約に反対する運動が激化した時代です。 岸信介政権の安保改定案は、1960年2月より国会審議が始まり、 5月20日に本会議で強行採決された。 これを機に「安保闘争」は一気に盛り上がり、 国会議事堂の周囲は連日デモ隊に取り囲まれたと言うから、 今のデモ行動とは比べ物にならないくらい大掛かりなものだったのでしょう。 当時は岸信介の私邸も、連日のようにデモ隊に取り囲まれ、 家の外には怒号が飛び交ってたといいます。 その後、6月23日の新安保条約の批准を経て、岸内閣は総辞職を発表。 総理大臣辞任直後の7月14日に、岸信介襲撃事件は起きている。 右翼の男に太ももを刺され、全治2ヶ月の重傷を負った。 安倍ちゃんのお父さん、安倍晋太郎も議員秘書から政治家を目指した人で、 大変多忙で、ほとんど家に居なかったようで、 幼少期の安倍ちゃんは、多くの時間を岸信介の私邸、つまりおじいちゃんちで過ごしました。 幼少から、岸邸を取り囲むデモの怒声を耳にしてたわけですね。 そんな中で起きた、大好きなおじいちゃんが襲われた事件は、 安倍少年の心にどんな影響を及ぼしただろう? 「おじいちゃんは、何も悪くないのに」 おじいちゃんに可愛がられた孫は、当然そう考えるでしょう。 その後、政界を退き暇になったおじいちゃんと、どんな会話をしたのでしょう? 幼少期に聞いたデモの怒号や、襲撃事件が「憎悪」の種となり、 成長とともに深層心理の中で、育って行ったのかも知れません。 だから安倍ちゃんは、自分に反対する人に対しあのように激高し、 「こんな人たち」と口走ってしまったのではないかと、そう思うわけです。 こう考えると、世襲議員ってかなりの確率で良くないですね。 肉親の思想を正しいものとして注入されてりゃ、いつまでたっても間違いは正されません。 それと、勝手な思惑でA級戦犯を野に放ち、731部隊を無罪放免とし 政財界の要職につけ利用したアメリカは、到底許せません。 そのせいで日本は戦争の反省ができぬまま現在に至り、 未だに従軍慰安婦問題や徴用工問題を引きずり続け、 戦後70年以上たった今にして、歴史修正する人たちを生み出してます。 アメリカという国自身が、原爆投下を反省する事なく、今に至ってます。 日本の支配が上手く行ったのに味をしめ、今でも力で他国を支配してます。 最強最悪のテロ国家は、アメリカでしょう。 ---------- ---------- たった今観たNHKスペシャル「沖縄と核」、衝撃でした。 60年安保で岸信介はアメリカと密約を交わしてました。 「日本本土に核を持ち込む時は事前通告をする。ただし沖縄は例外とする。」 それは沖縄を核の最前基地とし、沖縄を犠牲にして核の抑止力を得る事でした。 沖縄の人たちはそれと知らず、核と隣り合わせで暮らしていたのです。 やはり岸信介は昭和の妖怪でした。 やがて沖縄の人たちが核の存在を知り、日本政府に改善を要求した時も、 時の防衛大臣はアメリカに、発表をせずに兵器を配備することを要望したそうです。 つまり、バレないようにこっそりやれという事です。 NHKの「現在沖縄に核兵器はあるか」という質問にアメリカは、 「それには答えない」という返事だったと言います。 どういう事でしょう? 本当に恐ろしい話です。 アメリカの傀儡の自民党は、沖縄を犠牲にして本土を守る事を党是とする政党なのですよ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/09/10 10:50:36 PM
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