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2015.10.13
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カテゴリ:日記
僕の店じまい     2015-10-12  (はんぺん)

昨年、「リビングウィル」を書いて、身内に周知した。
今回は、僕の店じまいについて書く。「終活」の一環だ。

ネットから・・・・
「終活」とは「人生の終わりをより良いものとするため、事前に準備を行うこと」です。
例えば、自分のお葬式やお墓について考えておいたり、財産や相続についての計画を立て、身辺整理をしておくといった内容で、これらの活動を行うことで残された家族に迷惑をかけることも無くなり、また、安心して余生を過ごすことができます。

終活の一例・・・エンディングノートをまとめる・・・お葬式を決めておく・・・お墓を探しておく・・・財産や相続をまとめておく・・・自分の荷物を片付けておく・・・・

・・・・・・・・・・・・以上は、ネットから

今の時点での店じまいの開始・・・それが早いか遅いかは、わからない。自然な形で、そういう気になった。友人・知人たちの何人かが、鬼籍に入った。

先日、同窓会幹事をしている小学校5・6年生の時の担任の先生が、昨年亡くなったことを知った。84歳だった。

僕たちには、まだ、先があるのかもしれない。しかし、持病や視力の衰えを痛切に感じ始めると、将来について、不安が広がり、そろそろ潮時かな??と思ったりするときもあった。

僕は、昭和24年12月12日に、父・XXXX、母・XXXXの長男として、堺市に生まれた。
振り返ってみれば、戦前・戦中の厳しく困難な時代を知ることなく、戦後の復興期の平和な日本で育ったわけで、良い時代に偶然、生を受けたものだと、つくづく思う。
ベビーブームの中で、受験や就職における「競争」は、厳しかったが・・・・

青年時代に、社会運動に目覚め、新しい世界観を得て、それは、僕の人生を決定づけた。価値観は大きく変わったが、人生後半の2度の大災害を目の当たりにして、人生観の修正を余儀なくされた。「人事を尽くして、天命を待つ」とよく言われるが、そのとうりで、天命(=運命)は、誰にも変えられないわけだ。

僕が、1995年1月17日に、東灘区で生活していたら、また、2011年3月11日に東北の沿岸を旅行していたら、今の僕は、この地球上に存在していない。
誰にも、どうすることもできない運命(=宿命)のことを、よく考える。

過去には、「不死の霊水」を求めた皇帝もいたそうだ。
死ぬことは、仕方がないモノと諦めて、せめて、その痕跡を残そうと試みたものは多かった。自身の銅像を建立したり、建築物や地区、道路、空港などにも固有名詞を冠したものは多い。ぼくも、若いころ、そういう思いに囚われて、自身の亡きあとの何らかの痕跡を残したいと思ったことがあった。

今では、そういうことには、まったく意味は無いと思っている。

自身がこの世から消えた後、自分のことを思い出してくれそうな身内は、自身の子どもたちなどに、限られている。せいぜい孫までか、その孫たちも、彼らの記憶の中に留めておいてくれるかどうか? 
 それらは、ある意味、どうでも良いことなのである。

自身の多くのアルバムなどは、子や孫たちによって、いつかは、完全に破棄されてしまう。痕跡は、どんどん消されていき、遠くない将来、完全に無くなる。

「お骨」は、「XX家の墓」に、入って安心という人も少なくなった。「守り」をしてくれるXX家の人がいなくなり、どんどん無縁墓が増えているのに、そんなことに「安らぎ」を感じるのは、時代遅れになりつつある。

ぼくにも、「XXX家の墓」が太子町の太子霊園にあって、64歳で胃がんで亡くなった父親も「眠っている」らしい。
今も、92歳の母親に頼まれて、年に数回の「お参り」では、車で送迎している。

母に「お墓の守り」を頼まれることがあれば、母の気持ちを考えて、そうすると思うが、自身の遺骨が、入ることは無いというのが、自分の意志である。

国土の狭い日本では、墓地を別な形で有効活用する時代も来るように思う。葬儀の形も時代とともに大きく様変わりすることは、間違いない。

店じまい、その1   自分の葬儀には、お金をかけないこと。わずかな資金は、相続により、遺されたものが生活の安定のために使うべきである。

葬儀の形態は、「直葬」で完了すること。一切の儀式(通夜、葬式など)は、不要である。臨終後は、火葬場に直行すること。無宗教なので、炉前読経なども不要。

最低限の費用で、完了することが、故人の意志である。

火葬にかかる、最低費用について、「火葬代」「棺代」「納骨容器代」の他、「火葬場所までの搬送・安置代」も必要となる。

臨終後、すぐに火葬場に直行することは、出来ない。(死後24時間は、火葬できない)時節によっては、自宅安置であっても、ドライアイスなどの保存処置費用が、必要となるそうだ。自宅安置でない場合でも、「保存処置費用」のほかに、「安置場所代」「火葬場までの搬送費用」がかかる。

結局、葬儀社を利用して、これらの諸費用を負担して完了するのが、遺族に気を揉ませることなく、スムーズに実行できると思われる。

ネットによれば、これらの総費用は、20万円程度とのことである。これは、最低費用として、認めざるを得ないと思う。

店じまい、その2  火葬後の遺骨は、すべて自然保護に配慮した形で散骨すること。山でも海でも良し。

「XXX家の墓」には、納めないこと。(この墓も、遅くない時期に無縁墓に移行して、取り潰されるだけなのは、明らかである。)

店じまい、その3   「XXX家の墓」の「守り」については、基本的に、弟のXXXXの判断に委ねたい。僕の臨終の時点では、現在92歳の母親は、他界していると思われる。2男は、養子縁組で、遠方(九州)に居り、3男のXXXXが、適切な判断をすることになる。

以上、葬儀に関わる店じまいである。
臨終に関わる詳細については、すでに、「リビングウィル」で示したとおりである。

        2015年10月12日     (はんぺん)   ㊞





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最終更新日  2015.10.13 13:55:26
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