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韓国が文化財「返還」運動を加速するワケ 2010年8月の菅談話がもたらした混乱 安積 明子 :ジャーナリスト 2014-8-11 東洋経済オンライン
2015年には国交正常化50年を迎える日韓関係。だが現在の両国関係は、朴槿恵大統領が安倍晋三首相との会談を拒否し、中国寄りの姿勢を強めるなど、友好とはほど遠い状態だ。 理由は歴史認識問題や慰安婦問題などだが、両国間にはもうひとつ問題がある。日本に存在する朝鮮半島由来の文化財は韓国政府の発表によると6万1409点あるとされるが、その返還運動が起こっているのだ。 7月31日には、東京国立博物館に「保管中止要請書」が送付されてきた。送り主は韓国の海外搬出文化財の返還請求を求めている僧侶の慧門氏が代表を務める市民団体「文化財自分の位置取り戻す」だ。 要望書の内容は、同館が所蔵する小倉コレクションのうち、朝鮮大元帥兜、金冠塚など34点の保管を中止しろというもの。8月20日まで中止しない場合は、日本の裁判に訴えるという。 小倉コレクションとは、南鮮合同電機や朝鮮電力などの社長を務めた小倉武之助氏が併合時代に朝鮮半島で収集した1110点にも及ぶ文化財を指す。1981年に遺族により東京国立博物館に寄贈された。 慧門氏らの主張は、「慶州金冠塚は朝鮮総督府が1921年に発掘し、これに関与した慶州博物館長が横領した疑惑がある。よって同品は盗品だ」とするものだ。 「完全かつ最終的に解決済み」との立場 そもそもこうした問題は、1965年の「文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」で完全かつ最終的に解決済みだ。 それ以前にも、朝鮮半島から日本にもたらした文化財についても、日本は「正式の手続きにより購入したかあるいは寄贈を受けたか、要するに正当な手続きを経て入手したもので、返還する国際法の義務はない」(1964年3月25日衆院文教委員会にて宮地茂文化財保護委員会事務局長の答弁)との立場をとる。 なお日本は韓国と文化財協定を締結する際、附属書に提示された考古資料や石造美術品、陶磁器や図書など1321点を韓国に贈与した。これらは日本政府が所有する文化財で、韓国領域に由来し、同国内に同種が多くないものが対象とされた。 引き渡した理由について、当時の椎名悦三郎外相が「返還する義務は毛頭ないが、韓国の文化問題に関して誠意をもって協力するということで引き渡した」と説明している(1965年12月11日参院本会議)。 要するに戦後一貫して、日本は国内にある文化財を引き渡す義務はないという立場を堅持しているわけだ。 ところがこれを崩したのが、2010年8月に当時の菅直人首相が出した「菅談話」だ。 韓国併合100周年に当たる節目として韓国への謝罪が盛り込まれた談話だが、この中で韓国側が「返還」を求めてきた朝鮮王朝儀軌について、●日本が統治していた期間に、●朝鮮総督府を経由してもたらされ、●日本政府が保管しているものについて「引き渡す」と明記された。 そしてその談話に従って日本政府は2011年、2度にわたって合計1205点の儀軌を韓国に引き渡した。だがその中に、宮内庁書陵部が古物商から買い入れた儀軌が4点含まれていた。 「出血大サービス」ともいえるこの措置を、韓国側は大喜びで受け入れたと聞く。だが民主党政権の思惑通りに、日韓友好が進んだわけではない。 2011年1月に、韓国に占拠されている日本領の竹島に、海洋基地が建設されることが発覚。 同年5月には韓国の国会議員3名が、公職者としては初めてロシアのビザで北方領土を訪問した。 これは北方領土を「我が国固有の領土」とする日本の立場と相反するものだ。 さらに8月には、竹島博物館を視察するために訪韓しようとした自民党の3名の国会議員が入国を拒否されている。 さらに、翌2012年8月10日には、李明博大統領が竹島に上陸。 同月14日には天皇に謝罪を求める発言を行った。 そしてこの反日傾向は、朴槿恵政権に継承され、より強められているといえる。 政府間の問題ばかりではない。韓国から近い長崎県内で、2012年10月に窃盗が相次いだ。 2つは韓国で発見され、窃盗団も逮捕された。犯人の有罪が確定されたにもかかわらず、これらはいまだ日本に返還されていない。「銅造観世音菩薩坐像」については韓国の浮石寺が「倭寇に略奪されたもの」と主張したため、大田地裁が2013年2月26日に返還差し止めの仮処分を下したからだ。 対馬市の海神神社では統一新羅時代の作と言われる「銅造如来立像」が、そして同市の観音寺では高麗時代の作と言われる「銅造観世音菩薩坐像」が盗まれていることが発覚した。 前者は国の重要文化財に指定されており、後者は県指定有形文化財である。 ところが浮石寺は同坐像を所有した証拠を持っているわけではなく、その主張は一方的なものにすぎない。観音寺の田中節孝前住職は返還を求めて、対馬市の人口の半分に達する1万6803人分の署名を集めたが、その効果はいまだない。 日本の立場は変わったのか? 問題は、菅談話によって日本のこれまでの立場が大きく変化したと見られていることだ。 2011年5月26日付けの朝鮮日報紙は、同月13日に都内ホテルで開かれた朝鮮王朝儀軌還収委員会主催の「朝鮮の宝物、王朝儀軌還収祝賀宴」を報じ、次のように述べている。 「89年もかかったが、朝鮮王朝儀軌の還収は実に大きな意義がある。まず、1965年の韓日協定で『文化財返還についてのすべての問題は終結された』としたが、そうではないことが白日の下にさらされた。次に『文化財は原産国へ返還すべし』としたユネスコ及び、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)の協約と勧告が今や世界の大勢になった」 冒頭で述べた東京国立博物館に小倉コレクションの保管中止を求めている慧門氏は同委員会の事務局長を務め、この祝賀会に参加していた。 ちなみに慧門氏は、対馬市の仏像盗難事件については日本に返還するよう、訴訟を行った。大田地裁で仮処分が出ている「銅造観世音菩薩坐像」は、3年間はその法的効果により当事者以外は関与できないが、「銅造如来立像」について海神人社に返還するようにと行政訴訟を起こしたのだ。 日本に文化財の「返還」を求める一方、対馬の仏像については日本への「返還」を求める。慧門氏の意図は以下のようにくみとれるのではないか。「太古の昔に日本に渡ったものはさておき、日本の支配下時代に日本が取得した朝鮮半島の文化財は韓国のものである」。 1993年8月に作られた慰安婦問題をめぐる河野談話は、日韓友好の美名の下に、ろくに根拠もなく作成されたことが明らかになっている。安易な政治家の発想は、日本国民の名誉を傷つけるだけだ。 菅談話も日韓友好の美名の下に作成されたが、これを根拠に文化財を巡る問題は、今後とも生じてくることは間違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.11.13 23:17:25
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