カテゴリ:反天皇制
元号について 2019-5-6 (はんぺん)
運転免許証の有効期限の表記は、元号から 「元号と西暦の併記」に変えられたのは、時代の流れということだが、実際には、その不自由さ、不便さにある。グローバリズムの深化する現代にあって、日本だけが、我が道を行くことは、(可能なのだが・・・馬鹿にされるだけ)ということだ。
4回ほど国際免許証を取ったことがあるが、表記は西暦表記であり、元号は、どこにも記載されていない・・・・当たり前だ。そんなものは、海外では、(まったく相手にされない)のだ。 (元号を使用しているのは世界で日本だけ)・・・と変な自慢は、国際的には、まったく通用しないということだ。
元号は、「天皇が空間だけでなく時間まで支配する」という思想であると言われる(正しい)。 この意味するところは、我々が、生年月日や時代の表記に元号を使用することを意味する。 このことで、日常的にも、海外との貿易取引でも、多大な不都合が生じていることは、ご存知の通り。他国では、ありえない不便さを、耐えてきた日本の商社マンたちには、ご苦労!としか、言いようがない。
が、それだけでなく、生まれてくる我が子の名前にも、意外なほどに元号が使われている。元号によって、日本人の生活全体が、大きな影響を受けているということだ。それを、好ましいと思うか、どうかは、その人の価値観により異なる。 僕の診たては、(陰に陽に、天皇制の呪縛に絡めとられている)というものだ。
(参考)週刊新潮2019年5月6日 掲載 「元号」は日本人の名前にどう影響を与えたか 大正元年生まれの男の子1位は“正一” https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190506-00561234-shincho-soci&p=1
(前略) 「子供の命名の歴史を辿ろう。「明治安田生命 子供の名前調査」によると、明治45・大正元(1912)年生まれの男の子の名前で最も多いのは「正一」。説明するまでもないだろうが、大正1年を意味する。2位は「清」だったが、3位は「正雄」。以下、4位「正」、5位「茂」と続いた。多くの親が新しい元号を子供の名前に使った。
出来すぎた話のようだが、大正2(1913)年のトップは「正二」。以下、2位「茂」、3位「正雄」、4位「正」、5位「清」と続いた。元号の命名への強い影響は改元の年だけでは終わらなかったのである。
大正3(1914)年はというと、1位は「正三」。ここまでくると、当時の命名は元号と不可分の関係にあったとすら思える。2位は「清」だったものの、3位は「正雄」で4位は「三郎」、5位「正」だった。大正3年を思わせる名前が上位に集中した。
一方、女の子の場合、明治45・大正元年はトップこそ「千代」だったが、4位に「正子」がランクイン。大正2年には「正子」がトップに立つ。
昭和に移ろう。大正15・昭和元(1926)年の男の子の1位は「清」で、新元号を使った名前はベスト10入りすらしていない。もっとも、これは昭和元年が12月25日からの僅か1週間しかなかったために違いない。
次の昭和2(1927)年は1位が「昭二」。昭和2年を表していた。2位は「昭」で、3位は「和夫」。以下、4位「清」、5位「昭一」。上位5位までのうち4つに、「昭和」のうちの一文字が使われたのである。続く昭和3(1928)年は「昭三」「茂」「昭」「清」「勇」の順だった。
ちなみに、日中戦争が勃発した昭和12(1937)年のころからは戦争に関係する命名が目立つようになる。昭和を使った名前は同年の男子ベスト10から消え、代わりに「勇」が2位に入った。国家総動員法が公布された昭和13(1938)年の男子トップは「勝」だ。
そして、昭和14(1939)年から同16(1941)年までは再び「勇」がトップに。昭和17(1942)年から終戦の昭和20(1945)年までは「勝」が4年連続でトップだった
当時、戦争の勝利は多くの日本人の切実な願いだったのだろう。また、我が子が戦死を遂げないことを祈っての「勇」「勝」だったのかもしれない。
一方で平和を願う思いもまた強かったのか、女子の場合は昭和18年から昭和20年まで3年連続で「和子」がトップだった。昭和のうち一文字が使われた名前でもあるため、そもそも戦前の女子によく付けられた名前で、大正15・昭和元年から昭和20年までの間に17回もトップになっている。命名には時代が表れる。」 (後略)
ただし、「1989年1月7日からの平成は、価値観の多様化が進んだためか、元号と直結する命名は激減した。」とのことだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.05.07 00:27:31
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