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カテゴリ:心のココロ
伊藤美海 著
恐れを克服したければ、
恐れから逃げないことである。
中途半端に逃げるから、余計に怖くなる。
人間の感性から、恐れが消滅することなど
あり得ない。
じたばたせずに、真正面から恐れを受け止めればいいのだ。
そして、十分に恐れを味わったその後に、
その恐れと向き合い、恐れを自分の一部として認め、
恐れと上手く関わる方法を見出せばいい。
***
2/3くらいまで読みましたが、
実はこの著者には
という本もあり、実は私はこの本を先に買って、
そのプロローグに、「まずは前著の「ネガティブを愛する生き方」を
読んでからでないと十分な意味を持たない、」というような
書き出しがあり、書店に戻って買った次第であります・・(^^ゞ
「ネガティブを愛する生き方」
なぜ、人は、意味も分からず闇に浸りたい時があったり
好んで闇に行くことがあるのだろう、と考えてみると、
それは、「本質に気づくため」ではないか、
と著書を読んでいて思いました。
闇の中で、自分の思考に浮き上がってくる
気づきというのは、常に本質的であります。。
なぜなら、それは、死活問題、生存問題にかかわる
「最優先事項」だからかもしれません。。
テレビやネットなどのメディアでは、
安楽な幸福や、「これが一般的な幸福だ」というような
メッセージや宣伝で溢れています。。
それは、ほとんど、大企業や
無知なマーケターが「イメージ広告」として
企業や会社の利益のために、世に出まわしているのですが、
そういうものに触れる機会が圧倒的に多い私たちは、
「本質的な気づき」や「本質的な喜び」に
出会う機会は相対的に少なくなります。。
別にそれはそれでいいのではないか、
と考えることもできますが、実は、
安易な幸福や、逃避的な一過性の幸福を
無意識にでも得ようとすることは、実はどこかで、
また、「同じ苦しみ」で堂々巡りをするということを
意味しているようにも思います。。
なぜなら、そこには認識も学びも智慧も、発生しないため、
無常なるこの世界で、その本人だけ
成長できないからだと思います。。
「ネガティブを愛する生き方」
それは、私たちはあらゆる感情を味わい尽くさないと、
光を愛する生き方はできない、という意味を込めた
慈悲があるのかもしれません。。
なぜなら、目をそむけることも、
ないことにするのも、抑圧や逃避、に
つながるからかもしれません。。
そして何より、闇を理解する生き方というのは、
そのまま、自動的に、微かな光をも察知して
生きていける、という本能的な生き方でもありそうです。。
ダン・ケネディも言っています。
「まずは、自分に正直になることだ」と、、
(↑ 世界的マーケター)
(いつもの通り、うまくまとまってませんが・・^_^;)
ネガティブを愛する生き方2/3 くらい読んでの、
自分に浮かびあがってきた言葉でした。。^^
まだまだ、深い本ですけどね・・(^^ゞ
よきっ
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最終更新日
December 1, 2010 11:34:30 PM
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