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カテゴリ:本
![]() 図書館で偶然見つけた一冊。 副題が「解釈、テクニック、舞台裏の闘い」となっていて、普段表に出ることのない、しかし興味深い話が満載だ。 著者のジョン・マウチェリ(1945-)はアメリカの指揮者で、世界中で活躍してる。 映画音楽のコンサートで数度来日しているが、オーケストラの定期には出演したことがないので、日本ではそれほど知られているわけではない。 管理人はデッカの退廃音楽シリーズやハリウッド・ボールのポップス系統のCDでお馴染みの指揮者だ。 こういう本は普通オーケストラの楽員や歌手などとの交流、もしくは昔の偉大な指揮者に関するエピソードなどが大半を占めているものだ。 本書はそういう部分もあるが、大部分は指揮者の技術的な問題(指揮法ではなく)やスコアの問題、オペラの現場での不都合なことなど、指揮者でなければ分からないところが詳しく書かれていて大変面白い読み物になっている。 面白かった部分を2,3かいつまんで紹介する。 バレエの指揮者は一般にコンサートやオペラの指揮者よりも一段低くみられているものだ。 例えばオペラでは歌手の歌い方に合わせて、指揮をすればいいのだが、バレエの場合には何とダンサーの脚に合わせるのだそうだ。 なので、普通の指揮者にはバレエは振れないという。 例外はゲルギエフで、著者は彼はバレエの伝道師と称しているほどだ。 また、歌劇における歌手と指揮者の距離が離れていることによる問題(歌手には音が聞こえない!) 例にあがっているのは、プッチーニのトゥーランドット第2幕の「この宮殿の中で」の場面。 この場面ではトゥーランドットは巨大な階段の上に立っているため、指揮者との距離は最悪の状態だ。 また、最近オペラの新演出が読み替えが殆どになっている事情についても触れられている。 新作があまり受けなくなったために生き残りを図るために、名作をモダンで刺激的なコンセプトに基づいて上演することで入場者を増やすという方法だ。 これだと衣装代も安くあがり、オペラハウスにとっては願ったりかなったりだ。 オペラで主導権を握っているのは指揮者とばっかり思っていたのだが、じつは演出家が主導権を握っていて、指揮者の裁量は殆どないということも書かれてある。 オペラを観に行くと最後に演出家がちょろっと出て来て終わりになるが、なるほど演出家は今どきの言葉で言うとDSみたいな奴らなのだ。 もうひとつ映画音楽コンサートについて。 要するに映画の映像に合わせて演奏するコンサートなのだが、これが大変なのだ。 厳密に映画のシーンに合わせなければいけない時があり、その時に活躍するのはデジタルキューというシステム。 ビデオ画面に左から右に流れる符号で、指揮者は「カチッ、カチッ」というクリック音を聞きながら正確なテンポをキープするのだそうだ。 ミニマル・ミュージック音を演奏する時の難しさも語られている。 曲が最高潮に達したときに、演奏が完璧でなければならないのだそうだ。 突然起こるリズム上の爆発に対応しつつ、機械のような正確さで融通の利かない音楽をうまく操らねばならないのだという。 入りを間違えたり、テンポが少しずれただけで音楽が台無しになるのだそうだ。 なるほど、テンポが正確にキープできない時点で、ミニマル・ミュージックではなくなるということは納得させられる。 長々とエピソードを書き連ねたが、指揮者の仕事は大変なことばかりで、得ることは少ない、決して楽な商売でないことが分かる。 おまけに年がら年中飛び回っていなければならない。 ビバリー・シルズというアメリカの有名なソプラノ歌手のエピソード。 引退後ニューヨークシティオペラの音楽監督だった人物だが、意地悪で気難しいことで有名だったようだ。 そのシルズが今わの際に「いい人になろうと頑張った。でもできなかった」と語ったというエピソードは、人気があるイコール性格がいい、ということにはならない良い例だ。 ということで、指揮者や音楽家たちの知られざる世界を教えてくれる大変興味深い書籍だ。 人物ごとに詳しい索引がつけられているのも有り難い。 オーケストラやオペラに興味のある方には、是非ご覧頂きたい。 ジョン・マウチェリ著 松村哲哉訳 「指揮者は何を考えているか」(白水社)2019年10月10日第2刷発行 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024年02月22日 21時52分26秒
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