テーマ:親の介護を考える時(8)
カテゴリ:私の住む街
帰省にあたり、家庭菜園の野菜をたくさん持ち帰った。
そこで主人はなぜか、私の足湯用バケツに野菜を突っ込んできた。 食べ物を、私の足を入れるバケツに突っ込むものかなと思いはしたけれど、ドタバタしていたので園芸バケツへの入れ替えもやりそびれ、そのまま帰省。 どうせ土に生えていたものだし、今更ということにして。 さて、姑が「体が、特に足が冷えて辛い」「お風呂は追い焚きができなくて、お湯がすぐに冷めてしまって」などと話していた。 そこで主人に「ちょうど足湯バケツがあることだし、足湯をやってあげては?」とこっそり提案。 主人は、姑に「足湯やる?」と聞きに行って、「いいわいいわって言っとるわ」と戻ってきたけれど、だーかーらーそうやないわっ!! 隣室の姑に聞こえないようにボディランゲージで「そうやないわっ!」と説明(笑) 「はい、仰るとおりです」と、主人は改めて、姑がテレビを見ている部屋にお湯を張った足湯バケツを持って行って「足湯やる?」(笑) 姑が両足を入れて、顔がほころんで、喜んでくれたよと、後から主人が嬉しそうに話してくれた。 実は、足を入れて、見る見るアカが浮いてきたそうな。 それを見て、ちょうど帰省途中に昼食で立ち寄った足柄SAで、足湯やドクターフィッシュが気持ちよかった話をしたそうだ。 浮かんだアカに姑が気まずい思いをしないようにというとっさの配慮かと思ったら、全然関係なく、思い出したからってだけだった(笑) 足湯をやったのが私(嫁)だと、見る見るアカが浮いたことを姑が気にされるかもしれない。 主人からそう聞いただけで、もう何日も、おそらくは週単位でお風呂に入られていなかったんだと、辛くなってしまった。そうなると私は、すぐ顔に出る。 主人が、そんなことを思いもせずあっけらかんとしていたのも良かった。 その時、私は、食器の洗い直しをやっていた。 食器棚の食器には、汚れがこびりついているものが少なくなかった。 しかし、室内全体も食器棚の中も、実にきちんと片付けられている。 姑が容態の悪さで思うように家事をこなせないことに加えて、おそらくは老眼も影響しているのだろう。 食器の汚れになんて気付いていないよう振る舞った。ただ、それとなく、姑もやはり気にされておいでだと感じた。 決行。 食器を出し、固く絞った台拭きで食器棚の中を隅々まで何度も丁寧に水拭きし、食器は全部洗い直して拭いて、作業前に撮っておいた写真を見ながら元の通りに片付け直し、台拭きも洗った。 そんな作業をしながら、良くもこれだけに食器数を絞られて片付けられたものだと、しみじみ感嘆。 おそらくはずっと以前から、今のように動けなくなることを見越して少しずつ少しずつ、お1人で整理なさってこられたのだろう。 2つある食器棚の両方をやれれば良かったけれど、さすがに1度にはムリ。 今回は、普段使い用の食器棚だけやっつけた。 今度また、来客用食器棚もきれいにできれば。 足湯をやって、姑は、笑顔が穏やかでやわらかくなった。 身体も心もあたたまられたのだろう。すっかり気持ちがほぐれたご様子。 「食器棚と食器をきれいにしました。石油ストーブのススがどうしても多少入り込んでいたようで」と話して、「ありがとうね」と、そのにっこりされた笑顔が嬉しかった! もう少しもう少しと、少しでも長くいたいのは、主人だけではなく、私もだった。 けれど、キリがない。。。 後ろ髪を引かれる思いで、「それじゃ行くね」と、、、。 玄関のカギを掛けながら主人は、 「オレ、これまでで一番、おふくろになんかやれた気がする」 と、顔をくしゃっとさせた。 これまでずっと、帰省しても、主人の実家に居場所がなくて、辛かった。 今回初めて、帰ってこられて良かったと思った。 ~~~ ~~~ ~~~ ~~~ ~~~ 主人は、帰省するたびに、姑に何かを買ってあげていた。 前回はブレンダー一式のセットだった。その時は喜んでいたらしいし、さっそく使っていたとも聞いていたけれど、今は箱に片付けられてあった。 欲しい分だけすぐに沸くテ○フ○ールの湯沸かし器も、小姑が発売直後に買ってあげていた。姑は、そこに別のヤカンで沸かしたお湯を移していた。使ってはいても、まるで意味を成していなかった。そして今は、奥にしまい込まれて使われていなかった。 きちんと片付けられた部屋で、そういった使われていないモノを見ながら、少しずつ確実にモノを減らしてこられたことを感じながら、安易にモノをあげて増やすことは良くない気がした。 新製品の電化製品が便利でも、これまでそういったものナシで十分やってこられた方には、そもそも不要なのだろう。また、新製品の使い方を理解したり、実際に使いこなしていくのは、例えるならガラケーからスマホに移行するような大変さなのだろう。 だから、そうやって安易にモノをあげるのはもうやめて、本当に必要とされていることをやって、本当に喜んでもらいなよ、そのためにはもっと話をしてあげて聞いてあげなよ、と主人に話してあった(のだけれど、話した時にはほとんど理解してもらえてなかった)。 姑は、昔やった結核の後遺症で肺機能が低下しており、今は酸素チューブを24時間装着している。 2階の中央の部屋に酸素を出す機械が置いてあり、隣の寝室にも、隣のリビングにも、少し離れたお手洗いにも、チューブは十分に届く長さ。 少し動いただけでも、かなり苦しいようだった。もう自分の家の1階に降りることもない。買物などの家事は、市内の小姑夫婦がやってくれている。 動けないことで食欲も落ちたろう。身体は二回りほども小さく感じられた。 何より、思うように動けないことで、ずっとテレビを見ているかラジオを聞いているかだけで食事の支度さえ満足にできない生活は、布団カバーさえミシンで自分で作っていた人には、さぞかし辛いだろう。。。 私達がいる間は、多少ムリはなさっていただろうけれど、少し食欲も出たのか、割と召し上がっておいでだった。 姑のために、黒豆・ゆず大根・いかにんじんを作って、持ち帰っていた。いかにんじんは味が濃い目だったけれど、意外にお口にあったようで、嬉しかった。ゆず大根は、拍子切りの大根が固くて食べにくいとのことだったので、今度は薄く銀杏切りにしよう。 私が病気を抱えていなければ、我が家が岐阜に戻れていれば、できれば一緒に住めていれば、せめて近くに住めていれば・・・そんなふうに、胸が苦しかった。 あまり考えたくはないけれど、こんな日々は、あとどれだけだろうかと。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/04 09:22:33 PM
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