佐藤康行語録 その2.
氏神様の石を取られたら不安だとか、方位方角が良くないとか、今まで持っていたお札を放すと罰が当たるよとか、私たちはいろんな迷信で動かされています。もうそういう迷信から卒業しなければいけません。仏像も溶かせば単なる真鋳なのです。お札も単なる紙切れなのです。石は石なのです。なぜ私たちはそういうことに早く気がつかなければいけないのでしょうか。それは、そういったことを利用して、悪用する人が出てくるからです。そういう心を利用してお金を儲けようとする人も出てきます。その結果、いつも恐怖に苛まれ、不安に苛まれる心の犠牲者も出てきます。心臓を動かしているのは、私たちの意思ではありません。毛細血管はつなげると地球を一周するくらい長いといわれていますが、その毛細血管の隅々にまで休まず血液を送っているのも、私たちの意思ではありません。食べたものは消化吸収し、血液となり肉となり、要らないものは前と後ろから排出されます。この心臓はある一定のリズムで動いています。髪の毛は伸びるけれど、眉毛は伸びません。目は暗いところに行くと、パッと瞳孔は開きます。現代技術でいくら研究しても、この目はできません。男女が出会って妊娠し、子どもが生まれる頃には、自然とおっぱいが出てきます。まさにこれは宇宙の神秘なのです。私たちは自分であって自分ではないのです。まさに神の現れといってもいいのです。私たちが頭で描く自分ではなく、もっと大きな見えない力に動かされているのです。自分の意思で動かせるのは、手と足と、目と口が少し動かせる程度で、ほとんど見えない世界で動かされているのです。これを神といわずして、何というのでしょうか。人間が作った真鋳だとか、紙切れだとか、そんなものを私たちは拝んでいるのです。もう本当のことを知らなければならないのです。もし、敢えて仏像を拝むとしたらお釈迦様のあの柔和な美しい顔が心に反射をし、その心があなたの心から出てくる呼び水として拝むことです。神はあなたの中にいるのです。そして、あなたは神の現われなのです。それがわかれば、何も怖がるものはありません。宇宙には方位方角はありません。宇宙は、あなたが愛そのものに目覚めていった時に、全方位になるのです。あなたの行く所総てが喜びと愛と感謝に満ち溢れた世界が、無限に広がっていくことでしょう。これからは、神である本当の自分に目覚めていくことが大切なのです。