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イエスの喜びと満足のために☆

2009年08月08日
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        img20090629_t.jpg

         山谷さんのブログより

                   http://majormak.blogspot.com/

 

 先日、温泉で次のような問答をした。備忘のため、以下に書き留めておこう。

某氏「キリスト者にとって、義認がすべて、という考え方がありますね」

小生「そうですね」

某氏「そうしますと、聖潔というのは、義認に付け足す感じになりませんか」

小生「なるほど」

某氏「義認は、それだけで完全なのに、なんで付け足す必要があるのか、と」

小生「義認は、たとえて言えば、プレゼントのようなものでしょう」

某氏「プレゼントですか」

小生「箱に入ったケーキのようなものですね」

某氏「ほう」

小生「プレゼントを受け取った人は、その時点で、すべてを受け取ったのです」

某氏「なるほど」

小生「しかし、包み紙を破り、箱を開け、ケーキを食べない限り、中味をあじわうことはできません」

某氏「すると、プレゼントが義認で、その中味をあじわうことが聖潔ですか」

小生「そう考えたら、どうでしょう」

某氏「そうしますと、義認の中に聖潔が含まれているわけですね」

小生「そうですね。義認が、キリスト者の経験の中に実体化されるのが、聖潔でしょう」

さて、上記の温泉問答の後、小生は、異言を伴う聖霊のバプテスマの体験は、上記のたとえで言えば、どういうふうに位置づけられるのか、ということを、つらつら考えさせられた。

いまのところ、こう考えてみている。

すなわち、ケーキの上にのった苺が、それ、異言を伴う聖霊のバプテスマの体験である。苺がたくさんケーキの上にのっているに、しくはない。

しかし、ケーキの本質は、もとより苺の中には、ない。ケーキの本質は、本体にこそ、あるのだ。

なぜなら、もし、ケーキの本質が苺にあるとしたら、ショートケーキ以外のケーキは、もはやケーキでなくなってしまうからである。

問題は、われらの主は、あるキリスト者にショートケーキをプレゼントなさり、あるキリスト者にはチョコレートケーキをプレゼントなさるらしい、ということである。

さらにこの問題をややこしくしているのは、あるキリスト者は、他のキリスト者を見て「あなたが主からもらったのは、チョコレートケーキですね。それはケーキとして二流です。あなたが主から愛されていない証拠です」と暗示するようなことを、言ったりするためである。

もっとこの問題をややこしくしているのは、あるキリスト者は、他のキリスト者を見て「あなたが主からもらったのは、ショートケーキですね。それはケーキとしては邪道です。あなたが主から見放されている証拠です」と暗示するようなことを、言ったりするためである。

しかし、注意しよう。主の愛が、分割されたり、分配されたり、加減されたり、ということは、ない。

主は、この人に、ご自分の愛のすべてを、あますところなく注ぎ出していたもう。さらに主は、あの人に、ご自分の愛のすべてを、あますところなく注ぎ出していたもう。主の愛は、その意味で、単一である。

しかも、この単一の愛は、単調な愛ではなく、各人に各様に表現される、多彩なものなのだ。

苺の数を誇る(聖霊派)とか、苺がないのを誇る(根本主義)とか、プレゼントに添えられたカードの文法解析にレキシコンと首っ引きで没頭する(福音派)とか、まあ、いろいろな義認の受け取り方があるかもしれないが、重要なことは、わたしが、主から義認を受け取り、その中味であるキリストご自身を味わって食べ、主を喜び楽しむことであろう。

            20050102l.jpg







最終更新日  2009年08月08日 10時19分36秒
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アァメン   欠けた器 さん
主の知恵は高く
図りがたいものです
(^o^)
すべての人は
神様の作品で
最高に愛されている
というのは
真実だと
思います
(^o^) (2009年08月08日 19時02分24秒)

Re:アァメン(08/08)   candy♪1026 さん
欠けた器さん
>主の知恵は高く
>図りがたいものです
>(^o^)
>すべての人は
>神様の作品で
>最高に愛されている
>というのは
>真実だと
>思います
>(^o^)
-----
→アーメン。
まず愛してくださった主の愛に感謝いたします

計り知れない愛、全ての人にご自身を差し出してくださった主。でもそのプレゼントを手を伸ばして受け取ることがなければ、知ることができない。
 主は「取って食べなさい」
とおっしゃられました。お言葉とおりに信じて受け取って行きたいですね (2009年08月08日 23時15分48秒)

アーメン   ムベ さん
いつでも、誰にでも主の恵みは充分に備えられています。でも、ひとりひとりに主は細やかに配慮されますから、みんな同じ、一斉になんて事はありえないのですね。
何を与えるか、何時与えるか、それは神の勝手だと思っています。
その勝手は、その人を知り尽くした上で愛に満ちて、良く計算された勝手であって、与えられた人は、そのことが必要だったのだと思っています。
でも、求めなさいと言われていることは、思いこみや偏見を捨てて、素直に求めるべきだと思っています。
(2009年08月09日 09時03分59秒)

Re:アーメン(08/08)   candy♪1026 さん
ムベさん
>いつでも、誰にでも主の恵みは充分に備えられています。でも、ひとりひとりに主は細やかに配慮されますから、みんな同じ、一斉になんて事はありえないのですね。
>何を与えるか、何時与えるか、それは神の勝手だと思っています。
>その勝手は、その人を知り尽くした上で愛に満ちて、良く計算された勝手であって、与えられた人は、そのことが必要だったのだと思っています。
>でも、求めなさいと言われていることは、思いこみや偏見を捨てて、素直に求めるべきだと思っています。
-----
→>その勝手は、その人を知り尽くした上で愛に満ちて、良く計算された勝手

アーメンです。私たちにとっては突然のようなことのように見えることでさえ、すべてのことに時がありますね。イエスが十字架にかかられた、これも神の時が備えられていました。いえ、むしろその時を一番待っておられたのは神ご自身であられました。
イエスの内にある私たちに対するご計画のすべてもまた、御子と同じ姿に変えられるという目的、そして、花嫁として整えてくださるために、いかにじっくりと時間と手間をかけ、その時々を選んでいのちに必要な様々な事柄を私たちに備えられることでしょう。それはもはや勝手とはいわず、すべては神の愛、恵みですね。主のなさることはいつでもサプライズ!
主の勝手というすばらしい愛に、ワクワクして待ち望みます。 (2009年08月09日 22時44分12秒)

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