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11月2日は亡き主人の誕生日でした。 [娘の絵手紙]
生きていれば81歳だ。平成18年1月17日に亡くなってからもう長年過ぎた。私にとってはあっという間の年月だった。 あの頃は病気の主人と病気の娘を両肩に背負い1日中病院通いの日々だったが、やっぱりそこは 若さで入院中の両方の病院に駆け回っていた日々も懐かしい。[絵手紙のモデルたち] それからの年月は夢中であったが今こうしてまだ元気でおれるということは幸せなことだ。それぞれ高齢になった友達との会話で「ある日ぽっくり亡くなるのが夢だ」と友達は言いますが私はやっぱり家族に見守られてお互いに「ありがとう、の言葉を残して逝きたい」といつも言っています。 11月2日に家族全部のラインに「今日はお父さんの誕生日なので心の中それぞれお父さんを思い出し祝ってください」とラインした。一斉に返信が来た。 「お父さんの声が聞きたい。お父さんに会いたい、姿を見たい」ということだ。子供たちが父親のことを尊敬し懐かしがっていることが良く分かったので今度みんなが揃ったときに元気なころの父親の姿や声が入ってる10数年前のDVDやカセットテープを用意してまだ亡くなってから、聞くのがつらくて一度も聞けなかった事だし、家族で聞こうかな。子供たちが私の亡き後もこうしてなつかしがってくれて、折に触れ、尊敬される親でありたいと思いました。 「干支作りはやめた」と言ってるのに。故郷の姉ちゃんから「来年の干支を楽しみにしているからね」と言うメールです。姉ちゃんの頼みなら断りづらい。 そうなると故郷だけでも結局は合計で7個ぐらいは作らなければ弟の病院やら長男夫婦のところやらとあります。出来るかどうか分かりませんが一応昨日色々と干支の材料買ってきました。さ~、これからどうなりますことやら、 [干支つくり頑張ってみます] 今日からぼちぼち作成してみます、私のやり方は型紙なし自分のイメージ通りでああでもないこうでもないと悩みながらの作成なのでどうなるか分かりません。まあ頑張ってみますわ。 干支作りはもうやめると言いながら 辞めれないのは故郷の姉ちゃん達をがっかりさせたら、かわいそうだと思うをからです。
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