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どん底生活からよみがえり

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ひまわり0724

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2023.06.01
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カテゴリ:うつ病

正式な教員になれず、常勤講師をしていては将来の保証もないからということで、母が市民と市政に掲載されていた、公益法人団体職員(準公務員的)の募集があるから受験してみてはということで、うつになった職場で働くことになりました。
当時はベビーブームの時代で超氷河期で就職難の時代でした。2名の枠に108人の受験者でした。
私は補欠合格で、期間内に採用されなかったら無効ですと通知がありました。
その間、嘱託指導員なら採用しますよと声を掛けられて、嘱託指導員の試験を受験せず、嘱託指導員として2年間勤務しました。
教員の臨時採用で行っていた教員が、当時の採用した職員と親しい仲であって、採用試験で私が何番目か教えてくれました。私はなんと1番目だったのです。なのになぜ4番目になったのかというと、3人はコネがあったからという答えでした。
この時代コネがないと就職できなかったのです。
私が嘱託指導員の試験を受けてないのに、なぜ嘱託指導員になっているのかと問題が発覚し、その当時の館長が納得がいかず、1週間館長室から出てこなくなりました。それで常務が館長に説明に来館し、採用試験の状況を説明に来たのだと思います。
常務と館長と私でカラオケを言ったのですが、まずは嘱託指導員の採用試験を受け、2年後に正規職員の採用試験があるからぜひ試験を受けてくれと言われました。
カラオケでは私が演歌を歌わないことから何故かと常務に問われ、まだ20代前半の若い私は歌詞を深く味わうまで成長していないので、まだ歌うには早すぎると答えました。常務はわしらでもまだ十分に歌詞を味わうほどに達していないのにと感心されました。

やっと正規職員に2年後になれました。
コネで1番で採用された職員は、有給はぎりぎりまで消化し、銀行振り込みに行ったら2時間は帰ってこない、仕事はせず遊びっぱなし。当時の館長はその人の分まで働いて、残業は当たり前、休日の日も出勤していました。さすがに腹を立てて、山奥に左遷させられてしまいました。その後釜に私がポジションについたのです。館長の家庭は共働き夫婦で、子供と接する機会がなく子供が荒れていて悩まれていました。
私は、普通に業務をし、館長が余分にしていた仕事を取り戻し、館長の負担を軽くしていきました。やっと残業もせず休日も取り、子供が安定してきたと喜ばれていました。
コネで採用するとろくな人物でないのです。実力のある人が採用されないなんて、世の中狂ってます。

職場を移動し、小泉政権によって指定管理者制度が導入され、団体職員である公益法人を廃止する動きが出てきました。民間が参入できるということで、予算を抑えるために、一番給料の低い私が施設管理の職員に回され、給料の高い職員が楽な指導だけという、仕事バランスが両極端化していきました。
体育会系なので、年功序列の概念で今の館長は仕事はせずにすべて私に任せっぱなし。指定管理者制度によって、給料は2割削減し、みんな仕事やる気なし。私の仕事は2倍~3倍増えていきました。
館長は仕事を少し頼んでも、出来が悪く、後でフォローをしなければならない程低レベルで、二度手間で頼むことを止めました。その館長は左遷され、主任に降格されました。
8区ある内で私の区が一番所管施設が多く、遠くまで行かなければならないことも多く、業務量も多忙で、しかもこの劣悪な館長のパワハラによって、うつ病を発症したのでした。
父は公務員でしたので、財団法人の事情を良く分かっていました。指定管理者制度になる前の館長、主任は広島市の派遣職員(公務員)ですが、広島市がいらない人物を掃き溜めにしていたのです。だから、そんな上司の下で働く団体職員は、仕事のモチベーションも低くやる気なし。私の職場の組織はバブルがはじける前に一気に採用されているので、良い職員がいません。私がどんなに忙しく疲弊していても、平気でパソコンで野球中継を見て、雑談している。協力体制が全くない。
うつにならなかったら、市民のためにずっと働き続けていたことでしょう。
うつ病発症から休職、退職まで一切連絡もなく冷たいものでした。私がいなくなって誰が業務をしたのか分かりませんが、大変だったと思います。
うつによってこの職場とも縁がなくなり、今は幸せいっぱいです。






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Last updated  2023.06.25 10:49:20
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