相手を思うこと
旅に出ていました。今回は、5年前に泊まった宿も予約し、いろいろ懐かしの旅。そこは、私の敬愛するD先生のお宿。たまたま、彼が、故郷に帰っていることは知っていたのですが、「あなたも知っている私のガールフレンドが、宿にいるので、私がいなくてもぜひ来てください。」とのこと。 友人と共に行くと、さらに素敵にリノベされた建物でD先生の彼女が大歓迎してくれました。 それがすごく不思議、というか、意外?だったのが、D先生は、すごく素敵な方だけに、彼につながる人はたくさんいるし、彼の宿も、常にたくさんのお客さんがいる状態。 私は、もちろん、D先生が大好きで、尊敬しているけれど、彼にとっての私は、私と同じく彼を敬愛する人々の中の一人でしかなく、しかも、5年前に彼の宿に初めて宿泊客として泊り、その後、別の国で再会したものの、その時もやはり大勢の人と一緒に集団で会い、3年前に、会いに行ったものの、私も時間がなくて、会って話せたのはほんの一瞬で、やはり集団の中でお会いしたので、なんとなく、私の心の中で占める彼の割合は大きいけれど、逆に、彼は、私のこと覚えてくれているだろうか?ってぐらいに思っていたのです... 今回、彼女にお会いして、意外にもと言っては、失礼なのですが、ものすごく歓迎してくれ、長いフライトで疲れて、ぼさぼさだから、また明日にでも...と写真を一緒にとるのを断った私に、「ダメ!Dさんに、あなたと一緒に写真をとって、一刻も早く送るように言われてるから。」と言う彼女さん。 しかも、「Dさんが、132cafeさんが、こんなことを言った、一緒に〇〇に行った、といつも話すのよ。」と話してくれる内容が、私さえ、忘れかけていた些細なこと。ほんの数枚、D先生と一緒にとった写真さえも、「こういうところで撮った写真があるでしょ。それを見せてくれながら、Dさんが、あなたの話を何度もするのよ。」たしかに、その写真は、そういう状況で、そういう話をしたな、と思いだしました。 そして、その彼女も、私とは、過ごした時間はもっと少ないはずなのに、一緒に話したことや、状況の細かいことを覚えてくれていて、私は、逆にそれらのことは忘れてるんだろう、と思っていたため、なんだか、温かい気持ちになりました。 今回も思ったのが、このD先生や、その彼女、そして、もう一人、私が大好きで尊敬しているS老師、彼らは、台湾人だったり、中国人だったりするのですが、彼らに共通している不思議な距離の取り方が、私の文化にはなくて、興味深いのです。 それは、ああ、もっと親しくなりたかったな、と思うぐらい、彼らとは短い時間しかともに過ごせていないのに、私が話したどんな小さいことも覚えていたり、一緒に過ごしたほんの少しの時間でさえも、ものすごく大事に思ってくれていたり、私の持っているものに目を配り、そこから私の好きなものをビンゴで類推して、いきなりプレゼントしてくれたり...しかも、その時は、そんなに私のことを大事な友人や生徒だと思っている素振りを全く見せてくれないので、ものすごーく不思議。逆に、彼らの態度って、私に興味がないのかな?ってこっちが思うぐらいだったかも? 去年だったか、ものすごく高名な武術の老師と時間を過ごしたことがあるのですが、その時は、たまたま七夕の季節で彼が「会えなくても、その人のことを思うだけというのもいいもんだ。」とおっしゃっていて、その時の私は、(...そうかな...?)と思っただけでしたが、今になってわかります。 D先生にしても、彼女さんにしても、S老師にしても、私のように「会えないから、すぐに連絡をとって、あなたのことを思っていますよ、と知らせる」なんてせっかちな感じではなく、「会えないけど、その人のことを大事に思う」ってことをしてたんだな、ということ。 なんだか、また素敵なことを教えてもらいました。やっぱり、彼らは魅力的ですね。そういえば、S老師についても同じようなことを以前書いていました。