4分の1
あっという間に3ヶ月。何がなんだか分からないうちにあっという間に1年の4分の一が終わってた。ビックリした1月のはじめ。人生で2度目の救急車。父の時を思い出して本当に恐ろしかった。悪夢のような夜の出来事。 診断結果は、能動静脈奇形による脳出血。いままで、聞いたこともない病気。遺伝ではなく、生まれつき脳の動脈と静脈が絡まった奇形で生まれてくる。しかし、その絡まった部分はもろく10代後半から30代くらいの比較的若い年齢で破裂、脳出血につながることが多い。ネットで調べたところ10万人に1人。奇形を持っていても出血しない人もいる。若いから、救急車で脳外科に運ばれたとき間違いだと思った。でも、間違いじゃなかった。若いから、脳ドックなんて受けないし。兆候だってなかったし。突然、倒れた。今じゃなくても、いずれ出血しただろうと医師には説明された。出血した後だったので、手術は1週間後にしたほうがリスクが少ないだろうと言われて、1週間後の手術する予定でいた。 それから、2日後突然病院から電話が入った。緊急手術。脳のむくみが脳幹を圧迫して、瞳孔がひらいた。死ぬ、弟が死ぬ。怖かった。12時から朝5時、まで、待合室で祈り続けた。5時に先生が待合室に来て、無事に手術が終わったことを告げた。また、脳のむくみがなければ大丈夫でしょう。と言われた。脳のむくみを心配しながら、弟はそれから1週間薬で眠っていた。ピクリとも動かない。呼吸器。心拍数、酸素濃度、血圧を測る機械だけが弟は、生きていることを確かにあらわしてくれていた。1週間たったら、ドラマみたいに話すのかと思いきや、ほぼ変わらず。目も開けず、呼吸器、動かない。そのうち、うっすら涙を流すようになったが、瞬きができない。自分の意志で動かしていない。たくさんの管につながれて弟の魂は一生帰ってこないんだろうかと、悲しい気持ちで過ごした1ヶ月のICU生活。一日30分×2だけの面会時間に毎日通った。でも、気づかないくらいにゆっくりと氷が解けるように変化があったんだ今想えば。このままでも、一緒に頑張っていこうとおもった1月。 2ヶ月目、長いICU生活からやっと、手術後の人が入院する部屋に移った。ここでもゆっくりと変化があった。面会時間が格段に増えた。マッサージやら、音楽やらいろいろやった。たん取りは、見ているのが辛かった。弟は、血圧がさがり、心拍数が落ち着き、少しずついろんな管が取れ、瞬きが出来るようになり、・・・すこしずつ、すこしずつ。3歩進んで2歩下がる、果てしなくゆっくりなスピードで変化していった。3ヶ月目、よだれをながしている。ずっと寝ている。だらんと動かない手足。心配になる。でも、だんだん左手が動いた、点滴が管の栄養になった、足が動いた。痙攣と間違えるくらいのての動きが、確かな指の動きになり、腕が動き腕が上がるようになった。心拍数の機械がとれた。オムツを突然嫌がった。感情が出てきた。口の形が「嫌」という。だんだん、表情が出てきた。うなづくようになった。目がはっきり開くようになる。話を聞いて涙を流した。弟が、以前の弟になっていくのを感じた。文字が読めなくて、文字を見るのを嫌がった。頭に骨がやっと入った。あーと言うようになった。あーが短い言葉になった。すこし、文字が読めるようになって、今日は本を一生懸命よんでいた。聞きたい音楽を自分で選んだ。 文字で書けばスラリとかけるけど、先が見えなくて一日いちにちが長かった。そして、何も考えずにここまで来てあっという間だった。わたしも、弟が倒れてしばらくは怖くて、不安でねむれなかった。でも、いまは、たくさん眠れる。時間が解決してくれたわけではなく、お医者さん、看護師さん、リハビリの先生、たくさんの人の助けで前へ進んでこれた。弟の頑張り、私たち家族の思いで進んでこれた。 病院に運ばれたとき、手術の後、弟は出血が結構ひどかったと言われた、言語機能、右マヒは確実に残る。最悪、命を落とす。寝たきりかもと言われていた。だから、弟がすこしでも声を発するようになったことが信じられない。リハビリで車椅子にだって乗る。あっという間の3ヶ月、小さな歩みを積み重ねてきた。そして、振り返れば弟はこんなに成長したんだ。すごいな。40度近くの熱が続いた時期がうそのよう。これから、まだまだリハビリ生活は続くけれど今までどおり、弟と一緒に小さな歩みを積み重ねていきたいと思う。積み重ねて、生きていたいと思う。《今日の心が躍る♪3つのこと★》1、変顔メールでドッキリ作戦をした。大成功!(^^)v2、久しぶりの人と電話で話す。久しぶりの人とメールする。3、大好きなお菓子が家に置いてあった。ラッキ♪