カテゴリ:歴史を語る
この題材がミステリー小説「日南X]が発端となっていますが、今回はこれは置いておきます。
さて 尋常小学校6年の大江賢次の担任が青年池田亀鑑で近郊6kmの久古集落から通っていたということは彼の自伝「アゴ伝」で知ったのですが、生誕地は山奥の現日南町上石見出身であることは「日南X]で初めて知りました というのは、大江の自叙伝「アゴ伝」の出版(昭和33年)にはすでに亀鑑氏は亡くなっており(昭和31年没)中学生の私は、そんなに大家とは知らなかったのです。 後年、社会人になってから、いろいろと調べると「源氏物語監修の祖」としての文学博士でその著書も外国語に翻訳され日本の王朝文化を知る上での重要書籍となっているのを知ったのです 地元では記念碑、文学碑、生家には生誕碑もあるようです。 しかし、小生の米子市で彼の名声,功績を知る人は学校教育関係以外は皆無ではなかろうかと思います。 こんな学者をなぜもっと地元マスコミは紹介しないかと不思議です?? その功績を称えて、学会では「第**回池田亀鑑賞」があるようですが、時折その会場を亀鑑生誕地の日南町上石見で行っているようです。(ブログより) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「源氏物語、王朝文化」をライフワークとして研究されている某大学の先生が「若き日の池田亀鑑」と題して土地巡りのブログを書いていらっしゃいますので紹介します。 写真入りの紀行文で読みやすいので暇でしたらご覧下さい。 鷺水庵より -をりをりのよもやまばなしー ・池田亀鑑生誕地と二人の「とら」さん(日南町上石見から) ・池田亀鑑転校地(旧岸本町 久古から) 話は、元に帰ります。 ふとしたことで、「新聞切り抜き」を整理」していたら、大江の「絶唱文学記念碑建立」の新聞記事を見つけたました。(平成3年5月16日)日本海新聞 昭和62年2月没 享年82 昨年、私は「大江賢次とたけ代」さんの記事を4回にわたってUPしたのですが、そもそもの始まりは、この記念碑に久しぶりの出会いが発端でした。 建立後、約30年周囲のキャラボクは生い茂り観光客は素通りのようで、よほど物好きでないと読まれないのはどこの地方でも同じことのようですね。 ーーーーーー 止めどもなく、他愛ないことを2回にわたって書きました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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