|
テーマ:食べ物あれこれ(49779)
カテゴリ:B級グルメ
本当の食通は河豚にはじまり河豚に終わるといわれる。
かの魯山人もそうであった。 魯山人は幼少の頃から、大酒呑みで気難しい父親の料理を作っていた。 父親は味には滅法うるさかった。父親に怒鳴られるのが恐くて一生懸命に 美味しい料理をこさえた。子供ながら素材も新鮮なものを選ぶ目ができた。
そんな彼がこよなく愛したのが河豚である。 特に鯛茶どうよう、河豚茶漬けにもうるさかったようだ。 まずご飯の炊き方。そしてご飯の盛る量。 多すぎてもいけない。少なすぎてもいけない。
茶漬けに適した量があるのだ。つぎにだし汁にもこだわった。 わさびは無論、鮫皮で極太の本わさびのおろしたてを使う。 最後は器。 茶漬けに適した形と質感、薄さにこだわり続けた。 結局、自分で器まで焼くようになった。
そんな魯山人の最後の愛弟子がいる。平野氏だ。 彼の娘と何回か呑んだ事がある。すごい酒豪にして食通だ。 彼女は食エッセイストもやっているようだ。
そのご彼女を何回か偶然見つけた。 一回は池之端にある居酒屋シンスケ。ここは今はきれになってしまったが、 前は、昭和の雰囲気を残した、ザ・居酒屋であった。しかも料理は割烹以上。
そんな一階席のど真ん中に一人で陣取って、静かに日本酒を呑んでいた。 カッコがよかった。そうっと主人に言って、向こうの勘定をこっちにつけさせた。
京都では、先斗町にある名店「ますだ」。 ここはおばんざいの老舗だ。先代の女将にはよく背中を叩かれた。 ここにも彼女は一人できていた。しかも新幹線で東京から。 私はそのころ御所の近くに住んでいた。
比叡山の頂上近くに山小屋風の喫茶店がある。 ここのピザが群を抜いて美味しかった。 私はよく車をぶっとばしてランチをここでとることが多かった。 眺めも味も、そしてほとんど人のいないこのチロルのような雰囲気が 好きだった。マスターと話していて平野氏の娘さんが来る事を知った。 食通とは凄いものだとシャッポを脱いだ。
最後は銀座の古きBar檀。 ここの親父は本にも書かれた名物バーテンダーであった。 私はたまに仕事を吹っ切りたいとき、酔ったあとに一人で行くのが好きだった。 十人も入れば一杯になるバーだ。
蝶ネクタイに年輪を重ねた彫りのアル笑顔がいつも待っていた。 あるとき、親父と二人だけのことがあった。ポツリと親父が言った。 「みつおかさん。アッシはキャンサーでね。もう二回も手術をして いるんですよ。普段は家では寝てばかり。ドクターストップなんです。 でも不思議ですね。帳が下りる頃になると、体がしゃきっとしてバーテンダー になるんです・・・・・・」
「ええっ、それって癌」 そんな檀にも、平野さんのよく一人で呑みにくると偶然聞いた。 あるときいったら、もうマスターはいなかった。 奥さんが店を継いでいた。
ああ、話がそれてしまった。 今日は、親父が倒れてしまった、天然河豚専門店の美味しさの 秘密をかくつもりだったのに・・・・・
また明日おつきあいください。 い日曜日はいかがおすごしでしたか。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.08 17:43:01
コメント(0) | コメントを書く
[B級グルメ] カテゴリの最新記事
|