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カテゴリ:事件・事故
大阪で風俗店に勤務する23歳の女が、3歳の長女と1歳の長男を1ヶ月あまり自宅に放置し、死に至らしめたという痛ましい事件。どんな理由があるにせよ、まだ自力では何もできない幼児、それも血を分けた我が子を置き去りにするなどというのは、許されることではない。保護責任者遺棄致死なんて回りくどい言い方をせず、殺人罪と言っても決して過言ではないとワタシなどは思ってしまう。
本件に限らず、このところ人と人との『絆』というものの希薄さを浮き彫りにするような事件が続発している。足立区と杉並区で、相次いで100歳を超える高齢者の所在にまつわる一種ミステリアスな事例が続いていて、足立の男性の方はすでに32年前に亡くなった白骨死体として見つかり、杉並の女性は現在までその行方は明らかになっていない。 どう考えても不思議なのは、20年あまりも連絡が取れないまま実の親を放置していたり、実の父親とはいえ白骨化した死体と同じ屋根の下で30年あまりも共に生活していたという事実だ。さらには、取り分け確認もせずに漫然と年金など支給し続けていた役所の怠慢にも、怒りを感じる。 これらを自分に置き換えた時に、己の欲望を充足したいがためだけに、日々高温が続く中、我が子を密室に幽閉したり、年金欲しさに実の親の死を隠蔽すべく死体と共生するなどということは、到底理解できるものではない。もちろん、そこに至るのにも段階はあって、取っ掛かりでは悩みに悩んだものの、実行してしまった後で引くに引けなくなってしまったという部分はあるのかもしれない。それでも、そうすることによってその先どういう事態を招くのかと少しでも考えなかったのだろうか。未来永劫、永久に隠し通せるとでも思っていたのだろうか… ワタシだって人間だ。自分と接している人物に対して腹を立て、コイツ殺してやろうかとさえ考えたことは、今までまったくなかったワケではない。それでもそれを実行に移さなかったのは、幼い頃から自分と関わった人達から"生きとし生けるもの"たちの持つ【生命】というものの大切さを叩き込まれていたというのもさることながら、自分が反社会的行為に手を染めた時の身近な人間への心理的影響というものを考えたら、そう簡単に人の命を奪うなどできるものではない。そして、そうした反社会的行為に落ちないようにするカスガイとなるのは、身近にいる同じ人間たちとの『絆』あってこそなのではないか、とも思うのだ。 今回発覚した"高齢者の存在詐称"は、これまでにも都市伝説的に巷間伝えられていたことでもあるようなのだが、こうして『事実』として出てきてしまった以上、今後も"すでにこの世にいない高齢者"が続出し、結果として世界的レベルの高齢社会とさえ呼ばれた日本国の平均年齢が、一気に下落する…なんて事態になればまるでコントのようだが、笑うに笑えるハズがない。 ぎっちょ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 3, 2010 09:15:22 AM
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