|
カテゴリ:カテゴリ未分類
『鐘楼と多宝塔』 土塁を降りて、てくてくと。 林の中を歩いて行くと池にでた。 古いというよりは、寂れた感じさすんな~。 足利氏が屋敷として、使ってたころのもんじゃ~ないっぺな。 再現したもんかな? それにしちゃ~、寂しいな。 池といえば。 昔は『不動堂(中御堂)』の前んとこ『大御堂』沿いに、 5メートルぐらいの池さあったらしいど。 こっちの池は本物で、浄土式前池の痕跡、っていわれてたんだと。 なんで埋、めっちゃったんだべな。もったいない。 池はみっとこなかったんで、素通りして。 たどり着いたんが、『鐘楼』だど。 んっと。こっち側は、裏っかわなんかな? 正面さ、探して、ぐるっと回り込む。 参道側から見上げても、あんましかわんねな~w。 っつうか、木の枝さ邪魔っけで、写真さ撮れないど。 『鐘楼』は鎌倉時代初期の建久7年(1196)に、 足利義兼が、こさえられたらしくてな。 入母屋造り本瓦葺、袴腰をつけている・・・ 『袴腰』? ああ、裾んとの広がりんことかな。 建物の下半分が、スカートの裾みたいに、外っかわに広がってんだ。 これは、なんのためにあんだべな? 泥棒除け? 見上げると、奥のほうに鐘らしき形がうっすらと、みえたど。 屋根や瓦、基壇の周辺は修理されててな。 鎌倉時代当時のもんじゃ~ない部分も、あるらしいけど。 当時の様式で再現されてっから、全体の雰囲気は、鎌倉時代のまんまなんだと。 きれいな状態で残ってんのは、めずらしいみたいだど。 そして、もう一つ。変わった建物さあんだ。 『足利源氏屋敷跡』の西側にある『多宝塔』だど。 2階部分っていって、いいんかな。 上の階んとこが、ま~るい円形になってんだ。 変わってんべ? こっちも足利義兼の時代に、こさえられたもの。 だども、その後、何度か修理・改築されたみたいでな。 特に『相輪』っていわれてる部分は、江戸時代の様式になっちまってるらしいど。 中には『仏舎利』が修められてんだけど。 砂利石やガラス玉などでできた、17粒の仏舎利は、 銅製宝塔形の舎利器に納められ、 舎利器は、木製容器にはめこまれ、 容器は、銅鏡の上にのって、 宝珠内に納められてんだと。 は~。なんか、すごい厳重だっぺ。 それから、鎌倉時代初期のものと思われる、 『大日如来坐像』も、安置されてるそうだど。 って言われても、外からはめ~ないかんな。 どんなもんか、わかんないんだけど。 なんだかすごそうだな。 機会さあったら、一度みてみたいもんだべな。 《参考》
ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.08.30 00:07:57
コメント(0) | コメントを書く |