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「東照宮」 昨日は『狛犬さま』んこと、書いたんで、 今日は、建物のことさ書いてみよっと。 正面の扉には、金色の紋。 あ!水戸黄門! の、印籠でお馴染みの、紋だっぺw ええ~と、たしか。 徳川家の、葵の御紋だったべな。 なんで、こったらちいさな神社の扉にあんだべな。 あちこち覗いてみたけんど。 由来さ書いた看板は、みっかんなかった。 神社の名前さ書いた額もなかった。 右手のほうに、空きスペースさあっと。 あっちに、手がかりさ、ね~かな~。 手がかりが、ねがったけんど。 石の祠さあった。 神さまさ、おられるやつだっぺ? でも、何の神さまだべな。 首さ捻って考えてたら、神社の屋根がみえた。 へ~。小さい神社なのに、しっかりこしゃってあんだな。 二荒山神社の本殿さ、ぎゅ~っと縮めたみたい。 これ、そうとう格式さ高い神社にみえんだけんど。 いったいなんだべな? 帰ってきてから調べてみたら。 『二荒山神社』の『末社(まっしゃ)』のひとつ。 『東照宮』なんだと。 『末社』ってのはな。 本殿の祭神とは関係ないんだけど。 境内や周辺に、小さな建物さこしゃって、 祭られた神さまの建物のこと。 こないだ紹介した『市神社と須賀神社』も『末社』だど。 本殿の祭神と縁がある、神さまさ祭った場合は、 『摂社(せっしゃ)』っつってな。 『末社』より、格が上がるんだと。 『二荒山神社』には、『摂社』と『末社』の両方さあんだけど。 『摂社』は去年ブログで紹介したから、そっちさみとこれね。 (『摂社』のブログ記事は、こちら) さて、『東照宮』の話さ、戻るべ。 ここの『東照宮』は『末社』 で、『東照宮』っつう名前からも解ると思うけんど。 祭られておられるのは『徳川家康』公。 だがら、扉に徳川家の御紋さ、あんだね。 ちょこっと、聞いた話だと。 天正13年(1585)。二荒山神社』の本殿は、 『宇都宮国綱』と『北条氏直』の合戦に巻き込まれて、 焼失したんだと。 そのあと。慶長2年(1597)に、 『豊臣秀吉』が、『宇都宮国綱」を改易。 『二荒山神社』は、社領さ没収されちまったんだ。 そこで救済に乗り出したのが『徳川家康』 慶長7年(1602)。『徳川家康』が社領1500石を寄進。 慶長10年(1605)に、社殿は再建されたんだと。 『二荒山神社』にとって、大恩人になんだべな。 ほんだから、『東照宮』さ祭ってあんのかな。 帰り道。階段さゆっくりと下りる。 ほんと、ここは狭くって。 神社内も、ほとんど身動き出来る場所もない。 境内から離れた林に埋もれてっから、誰も気がついてないんかも。 なんだって、こったら隅っこに『東照宮』さ、あんだべな。 もちっと目立つとこさ、こしゃったら、 大勢のかたが、参拝できんのに。 それとも、『徳川家康』公は、静かな場所で、のんびりできて、 喜んでっかな。 ま、隠れた穴場さみっけたみたいで、 どきどき、わくわく。 楽しかったけどな~w。 こったら、わくわく。大好きだっぺ♪ 《参考》
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最終更新日
2013.01.06 00:58:39
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